ヒカリの学習ノート

ヒカリの学習ノート

「お金」が好きなら先ずは知ることからはじめよう!経済からお金の雑学、テクノロジーの動向まで、このブログを読めば一気に学ぶことができるよ。

未来の仕事とお金 加速するテクノロジーの進化と向き合い方 後編

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前回に引き続き、現在予想されているテクノロジーの進化に目を向けながら、仕事とお金の在り方と向き合い方について見て行きたいと思う。

 

急速なテクノロジーの発展を肌で感じている現代人からすると、昨今のAI(人工知能)熱は信憑性があるように感じられる。しかし、歴史を振り返ればこれで3度目のブームだ。今回も一時的な熱狂で終わってしまうのか、それとも三度目の正直で、今度こそSFのような世界が実現するのか、今後の動向に注目したいところだ。

 

今日は、そんなAIの発展について、現実味を帯びている話を取り上げていく。自分たちの仕事やスキルと照らし合わせながら、新しいパートナーである人工知能との向き合い方について考えて行こう。

 

 

AI作家の登場で物書きの仕事から人間が解放される

 

 単純なライティングなら人工知能任せで良い

執筆のようなクリエイティブな仕事はAIに代替され難いと捉えられてきたが、どうやらその認識を改めるべきときがきたようだ。特に客観的事実と情報をまとめ上げる新聞記事の執筆は人工知能にとっては容易い作業だ。人間の記者を凌駕する速さで膨大な情報を理解し、原稿に落とし込むことができる。例えばAP通信社が執筆用の人工知能に経済記事を書かせたときには、データさえあれば瞬時に300文字前後の記事を生成させることができたという。ちなみに、人間の記者が3カ月で300本の記事を執筆するのに対してAIは4400本も書き上げるそうだ。もう勝ち目がないね。

 

 作家の仕事が効率化される

小説の執筆はさすがに不可能だと考えられてきたけど、既に人工知能にSF小説を書かせるプロジェクトが実施されている。当時ネット上では「ラノベ作家なんて廃業だな」と嘲笑う書き込みをいくつか見つけたんだけど、件の実験ではSF小説をAIに書かせているのであって“ライトノベル”に限定した話ではない。一般文芸は高尚だからAIには書けないと考えているのだとしたら相当見識が狭い。例えば、ジャンル毎に膨大な数の映画と脚本をAIに学ばせることで、新たな映画の企画書や脚本を仕上げることだって出来るようになるだろう。一般文芸も同様だ。こうなってくると、事実を整理してターゲットに情報を伝えることを目的とした新聞記事の場合、小説や脚本以上にAIに代替される可能性が高くなる。書き手や語り手の知名度で勝負しているコラムニストや評論家はある種の人気職なので生き残るかも知れないが、必ずしも独自の視点を必要としない記者やライターの仕事は早い段階で人の手を離れていくことだろう。そしていずれはより精度の高められたAIが既存の小説からパターンを学び、独自に物語を書けるようになる。ある程度型の決まったジャンルであれば数万、数十万という過去の小説からパターンを見出して、より洗練された原稿を書き上げることも不可能ではないだろう。

 

 著作権で稼げることに変わりはない

AI作家の登場は、物書きをただの金稼ぎの手段としか見ていない人にとっては痛手ではないだろう。むしろ面倒な執筆作業を肩代わりしてくれるのなら願ったりかなったりだ。先に例を挙げたようにネット上ではライトノベルやその作家を異様に毛嫌いする人間が珍しくないけど、そういう人たちは何か“高尚そうなもの”に漠然とした価値を見出しているのだろう。出版物の本質を見失っている。出版社にとってはいずれも「商品」に過ぎない。売れない、儲からない商品では、どんなに高尚であっても無価値だ。分かりやすい人気作を挙げるなら、ラノベではSAOこと「ソードアート・オンライン」の累計発行部数が2600万部(3000万に届くか?)、単行本1巻だけでも100万部を超えている。漫画「五等分の花嫁」が1500万部超えだ。いずれの人気作家も著作権で食べている。彼らがAIの助けを借りて執筆できるようになったらどうなるだろうか。過去の作品から新規のアイディアを後押ししてくれるだけでなく、原稿に落とし込む作業の一切を人工知能に任せることだってできる。そうなればあとは印税と版権使用料で稼ぐことが容易になるだろう。もちろん、私がAIを利用できたとしても、勝手に他人の著作物やアイディアから作品を作り出すことは難しい。同人誌の扱いがどうなるかは今のところ分からないけど、剽窃問題は今以上に複雑になり、訴訟案件も増えていくだろう。この辺は法整備の問題になってくるのでここでは深堀しない。

 

 変化に適応できる者が生き残る

結論を言うと割と早い段階で物書きの仕事も人の手を離れることになるんだけど、別に悲観することではない。小説を書きたい人は稼げるうちにヒット作でも出して、稼ぐだけ稼いだらAIに自分の過去作を学ばせて自動生成させて印税と版権使用料で儲けるということもできるだろう。これからの時代はAIを使う側に回る人間が有利になる。もちろん人工知能の設備を手に入れるのにも資金が必要だ。そういう意味でも先に上げた人気作家陣は存分に強みを発揮することができる。

作家AIの仕事は小説執筆だけではない。作詞や作曲でも力を発揮することだろう。例えば秋元康氏の過去の作品を学ばせてAIに秋元氏の作詞を再現させることも可能だろう。当然、この場合も著作権の問題があるので、この方法で作品発表出来るのは作詞家本人に限定される。結局、AIを使う側に回った人間が不労所得を得られるということだ。 

 

AIに任せられるその他の仕事

 

 物流が自動化される

Amazonに代表されるECサイトでの買い物が一般的となった現在では、わざわざ実店舗に足を運んで広い店内を歩き回り、店員に尋ねなくても検索と過去の閲覧履歴からおすすめ商品が提示され、難なく欲しい商品を手に入れられるようになった。書籍はもちろん、家電製品でさえ送料無料、しかも安く手に入る。在宅勤務の影響でウーバーイーツの注文も増えているという。便利な世の中だが、人間の労働力には限りがある。既にECサイトの商品発送に関するトラブルが多く、運送業に従事する労働者を気遣う書き込みがSNSでも目立つ。今やECサイトや運送業者側は悪者のように扱われているが、その問題も将来的には解消されるだろう。何故なら物流が自動化されるからだ。例えばAmazonはドローン配送で30分以内にユーザーに商品を届けることを目標に掲げている。倉庫を上空に設置して、直接顧客の家まで届けるという斬新なアイディアだ。日本での実現は当分先だろうけど、自動運転が実現すれば配送ドライバーは必要なくなる。ヤマト運輸が実証を行った「ロボネコヤマト」のサービスでは、お客が受け取り場所と時間をスマホで指定して受け取る方式を取っている。ドライバーは乗っているが、荷物は客が自分で取り出す。基本的にドライバーは関与しないというものだったので、自動運転への切り替えでドライバーを不要にしたのは必然だったのだろう。後に自動運転による実験も行われている。一方、倉庫でのピッキング作業は依然として機械には難易度が高く、まだまだ人手を必要としている。運転と配送業務から解放された人員を倉庫内作業に割くことになるだろう。これに関してもロボット工学の 発展でいずれは人の手を離れて完全自動化されることは間違いない。いずれにしてもこのような繊細な作業でさえも人の手を離れるのは時間の問題だ。

 

 通訳、翻訳業のAI代替化

これに関してはAI研究者だけでなく英語教育者も度々話題に出しているんだけど、他の代替可能な事務作業や接客業と単純に比較できるスキルではない。同時通訳の自動化については筆者の知る限りでも20年以上前から実験が行われていたし、通訳者の頭の中でどのように情報が処理されているのかも注目されてきた。そして現在では低価格で個人が高性能な通訳機を持てるようになった。ソースネクストの商品「POCKETALK(ポケトーク)」だ。言語の異なる者同士でも母国語を使ってコミュニケーションが取れる優れものだが、英語学習の補助機として使っている人もいる。Web翻訳も高性能化しているので、使用者に基本的な英語力があれば英作文や翻訳のサポートに使うこともできるが、学習用に活用する人が少なからずいるのも事実だ。テクノロジーの進化でもたらされた変化と言えば、現時点では語学学習の補助が可能になったことぐらいだろう。実際、国際会議でAI通訳に一任するまでには至っていない。これ以上精度が上がったとしても、人間にしか判断できない場面で臨機応変に通訳することは難しいだろう。ときには訳さないことも通訳者の仕事になるからだ。いつの日かSF作品で登場するような人の心を持ったAIが実現すれば、AI通訳に置き換わることはあるだろう。尤も、外見も内面も人に限りなく近く、更に人間以上の知能を持ったロボットが実現したときそのときには、ほぼ全ての仕事がAIに置き換えられていることだろう。

 

 危険な作業から解放される

多くの人がロボットに求める仕事はこれだろう。危険を伴う高所作業や除染作業などの人体に影響を及ぼす仕事は機械に任せて当然だ。AIに代替される職業の一つに宇宙飛行士が入っているが、これは人間の宇宙飛行士がいなくなるという話ではなくて、船外活動のような危険な作業だけAIに任せてしまおうという意味だ。頭脳労働でもあるので、AIと協力する効果は大きいだろう。宇宙時代の幕開けを前にデブリ(宇宙ゴミ)回収にビジネスチャンスを見出す実業家も存在する。20年ほど前にNHKで放送していたアニメ「プラネテス」の世界が現実になるんだ。作中では人間が危険な船外活動に従事していたんだけど、このような危険な作業はAIに任せるようになるだろう。ロボットアームの制御の難しさが指摘されそうだが、対象物の形態を機械学習させる試みが既に行われている。物流業の完全自動化が実現した暁には、宇宙での作業もAIに任せられるようになるだろう。

 

インストールで学習が完了する未来 

 

先程の通訳・翻訳者の話と通じる部分があるだろうか。筆者の知る語学を得意とする人も度々この話題を口にしていた。殆ど人間のAI化と言えるだろうか、脳にチップを埋め込むことで暗記学習が不要になるというものだ。これは妄想や空想科学の類ではなくて、実現に向けて研究が進められている。実用化されれば外国語を脳に流し込むことができる。トレーニングが必要なのはせいぜい発音ぐらいだろう。自動運転の普及を懸念するドライバーのように拘りを持っている人にとっては語学学習の醍醐味を失ってしまう危機ではあるんだけど、暗記系科目で無駄に消費するぐらいなら全ての人間が知識を吸収した上で、能力に応じて実戦、応用できるように教育した方がより高度な文明を生み出せる。人類にとっては決して悪い話ではない。AIのIQは人間の100倍、つまり1万まで引き上げることが可能だとも言われている。100前後で優劣を競い合っている人間には到底想像もできない世界だ。我々がAIに支配されないようにするためには、自らがAIに近付く他ない。脳にチップを埋め込むことは、知能の向上以外にも恩恵がある。具体的には脳機能障害を持つ患者のペースメーカー的な役割も果たせるのではないだろうか。記憶障害も解消できるかもしれない。AIを駆使して人間の能力を拡張できれば、人間の医師がWatson(IBM社のAI)になることだって出来るかもしれない。人間の医師が数千万の論文を読みあさり、無数の症例の確認や治療法の確立を行い、医師の仕事を拡張する。弁護士も同様だ。膨大な数の判例から最適解を導き出すことで裁判の準備が進め易くなるし、(これも問題になったが)パラリーガルにまる投げしていた破産手続きも遅延なくAIが完了させてくれるだろう。人間の事務員を雇っていると急な休暇が入り仕事が進まないこともある。雇用主からしたら早く確実に、文句も言わずに仕事をこなしてくれるAIを導入できるのであれば人間の労働者は不要だろう。

 

労働から解放され、消費することが人の役割になる未来 

 

労働から解放された人たちはベーシックインカムで生計を立て、不足分は人にしかこなせない仕事をすること補うようになるだろう。国はAIに補うことが難しい職域で雇用を促すため法整備を整えるはずだ。いずれにしても労働に対する人間の意識はこの先数十年の間に変化し、ナノテクノロジーの発展した未来では、人は完全に労働から解放される。100年後には生きる目的の有無で人の幸福度は変わってくるだろう。仕事を目的と捉え、ポジションにこだわりを持っている現代人の意識のままでは生きづらい世の中になる。

 

前後編に渡って読んでくれてありがとう。テクノロジーの進化を見据えることで、新たな生き方を模索する切っ掛けになれば幸いだ。

 

これからも最新動向に合わせて記事を投稿するつもりなので、気が向いたら読んでみて欲しい。

 

それではまた、次回の記事で。

未来の仕事とお金 加速するテクノロジーの進化と向き合い方 前編

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タイトルの通り、今日から2回に分けてテクノロジーの進化について語って行くつもりだ。以前の記事でも話した通り、一見するとこのブログが対象テーマとしている「お金」の話とはあまり関連性がないように思うかも知れないけど、実は深く関わってくる問題なんだ。何故なら、投資や権利収入のような不労所得を除けば多くの人がお金を得るための手段として仕事をしているからだ。職に就くために懸命に学び、資格を取り、スキルを生かして金脈を掴む。会社員であってもフリーランスであってもそこに違いはない。一時期は英語、IT、会計の3技能が現代人の“三種の神器”として注目されていたんだけど、そんなトレンドにも変化が訪れつつある。先の3つのスキルが大切なことは今も変わりはないんだけど、それだけで稼ぐことは難しくなった。ITスキルにはプログラミングも含まれるが、近い将来ノーコードが主流となれば、誰でも簡単にアプリ作成ができるようになる。それこそエクセルで書類を作るような感覚で、上司から仕事で使うアプリを作るよう命じられる時代がやって来るだろう。シリコンバレーで活躍しているような上級エンジニアはノーコードツールを否定しているけど、当然彼らのようなエリートがすぐにお役御免となることなんてありえない。当面の間は安泰と言えるだろう。問題はWeb制作や簡易なスマホアプリの開発をしているような初中級レベルのエンジニアの存在だ。国民総プログラマー化が進めば、上級のエンジニア以外は生き残るのが難しくなるだろう。もちろん、ノーコードツールによる開発サービスを提供することで稼ぐことは可能だ。既にLステップやShopifyの案件をこなして稼いでいる人は少なくない。だが、そのようなネットビジネスを生業としている人たちにとっては、所詮は仕事もスキルもツールに過ぎないんだ。あくまでも稼ぐための手段であって、仕事それ自体が目的ではない。これについてはYouTubeで発信しているインフルエンサーの話を聞いていれば分かることだ。有名どころのビジネス系ユーチューバーにとって仕事とはあくまでもツールであり、スキルや肩書きに愛着なんて無い。時機を見て、方向転換のタイミングだと判断すればこれまでやってきたことなんて平然と放り出して次のトレンドへとシフトする。そのぐらいの切り替えの速さと機敏な行動が出来なければこれからの時代は生き残れない。

 

ここまで読んでくれたみんなに問いたのだけど、あなたは肩書きやスキルに愛着を持っている方だろうか。それとも所詮はお金を得るための手段と割り切っている、いわゆる「仕事ツール論」の人間だろうか。このどちらの立場に属するかによって、これからの時代の生きやすさが変わってくる。

 

シンギュラリティの到来まで残り24年程。人の知能を超え自ら進化するAIの誕生がそれより早いか遅いかは誤差に過ぎないだろう。戦争や災害で文明を失わない限りはほぼ確実にその時は訪れる。こうした激しい変化は不便な時代を経験している者なら身を持って体験している筈だ。駅の改札やスーパーのレジ、病院の受付、会計、映画館の券売やチケットの確認が自動化されたのはいつからだろう。今では当たり前のように使っている電子マネーだって、かつて中国の実業家、ジャック・マーが未来予想したときには正気を疑われたという話は有名だが、いつのまにか私たちの生活に溶け込んで、意識する間もなく人の仕事が機械に代替されている。あらゆる職業がAIに代替されることで、我々人間が労働から解放されたとき、仕事を生き甲斐にしていた人たちは何を望みに生きるのだろうか。AI人材という新たな仕事は生まれて来るだろうが、特定の職業や肩書固執しているような人間は切り替えることが難しいだろう。

 

それでは具体的にどのような変化が訪れるのか、向こう10~20年ほどで実現するだろう技術について簡単に見て行きたいと思う。

敵か味方か? AI弁護士の登場で変わる法曹界

 

2018年2月、国際法務を専門とする韓国の大手ローファーム、DR&AJUがAI弁護士を採用したニュースは、当時の法職関係者やテクノロジー界隈ではちょっとした話題となっていた。採用されたのはユーレックス(U-LEX)というAI弁護士で、訴訟の準備業務の一つである判例分析や法律条項の検討を僅か20~30秒で済ませてしまうという有能さだったという。ちなみに、従来通り人間の弁護士と秘書(パラリーガル)が仕事をすると、早くても数日、長いときは数カ月もの時間がかかる仕事だ。さて、もしもあなたが資金潤沢な法律事務所の所長であったなら、AI弁護士と人間の弁護士、どちらを雇うだろうか。筆者は今でも医師と弁護士の業務に於いて、AIは人間の能力を拡張するための道具として有効であると考えている。要は、医師と弁護士に関してはAIに代替されることはなく、あくまでもテクノロジーがペースペーカーとして機能するものと考えている。例えば東大病院で血液癌治療を発見したワトソンがそうだ。数千万にも及ぶ論文を読みあさり、僅か数分で診断を終わらせたIBMのAIは、確かに一人の患者の命を救ったんだけど、ワトソンの助言を受けて治療を実行したのは人間の医師だ。患者の経過観察を行ったのも当然人間の医療従事者だ。治療中の患者のケアも人間にしかできない。同様に悩めるクライアントの相談に乗り、ときには助言し、宥めることも人間の弁護士にしかできない。ユーレックスが採用された翌年、AI弁護士と人間の弁護士が企業法務で対決する「アルファロー大会」が開催された。これはいわゆる法律職版の電脳戦だ。競技種目は訴訟前に行う契約書(ここでは雇用契約書)の内容を検討するというものだ。結果は言うまでもないだろう、AIチームの圧勝だ。人間の弁護士に2倍以上の点差をつけての圧勝たった。人間が30分かける作業をAIが6秒で行うという話からも、力の差が窺える。興味深いのは、AIとタッグを組んだ人間チームも上位に食い込んでいることだ。このことから、煩雑な契約書の作成、検討作業や判例の参照をAIに任せ、クライアントとの打ち合わせや法廷に立つ仕事を人間の弁護士が行うことで、より効率的に業務をこなし、従来以上に弁護士の業務の幅を拡張することができると分かる。実際、業務の自動化にAIを活用すべく、数学や機械学習の習得に挑む弁護士も存在する。定型業務をAIに代替させることで、安価にサービスが提供できれば法務格差を解消できるし、空いた時間でクライアントとのコミュニケーションや問題解決に努めることもできる。来るべきテクノロジーの発展を悲観的に捉えるのか、前向きに捉えて自らのスキルに生かして行くのか、姿勢の違いが勝敗を分けることになるだろう。AIを導入するだけの知識や資金力のある弁護士であれば、わざわざパラリーガルを雇うことなく事務所経営が行える。所長一人で人間の業務を行い、残りはAI弁護士に任せることもできるので、利益だけ一人占めしてしまえるというわけだ。いずれにしても、AIを導入し、使える人材になることが勝利の鍵となるだろう。

 

自動運転の実現で自家用車の所有が不要になる

 

日本に於いては2020年に道路交通法と道路運送車両法が改正されたことで、レベル3(条件付き運転自動化)の開発が解禁されている。ネックとされていた法整備の問題をクリアしたことは大きい。この段階で高速道路でも自動運転車を利用できるようになるが、適宜ドライバーの介入が求められるため、自動車免許を所持する運転者の乗車が条件となる。まだまだ誰でも使えるものとは言えない。自動運転車の普及率は10年後で2割程度と見込まれている。2030年から東京都内でのガソリン車の販売が規制されるので、それに合わせた自動運転車への切り替えにも期待したいところだ。自動運転の実現には信号機や街路灯へのセンサー設置が必要になる。インフラを整えるためにも、全国の道路環境を自動運転仕様にしなければならない。道のりは遠いが、実現すれば赤信号での停車、障害物回避を確実にできるので、人間のドライバーが引き起こすような注意散漫による事故は無くなるだろう。いずれにしてもゴールはレベル5だ。これが実現すれば運転に要するシステムは一切不要となるため、ハンドルやアクセル、ブレーキが無くなる。運転席というものが取り払われ、快適な車内で読書や仕事に集中しながら移動することができるんだ。

 

これらは遠い未来の話に感じるかもしれないが、グーグルは既に161万キロもの走行実験に成功している。公道で2回事故を起こしているが、いずれも人間の運転する車によって引き起こされたものだ。レベル5の自動運転が普及した暁には、必要な時に誰に気兼ねすることなく自由に乗車できるようになるだろう。スマホ(またはそれに代わるガジェットが普及しているかもしれない)で車を呼び出す。乗客の位置情報と目的地は衛星で確認、支払いは電子マネーで自動引き落とし。高齢者の運転による事故を無くし、障害者の移動手段も確保できる。AIのお陰でハンディキャップを持つ人たちが誰に遠慮することもなく移動できるようになる。このような未来の姿が現実味を帯びている昨今にあっても、未だにATだのマニュアルだのとマウント合戦を繰り広げているのだから滑稽なことだ。

グーグルの共同創業者であるセルゲイ・ブリン氏によれば、多く見積もると市街地の50%近くが駐車場に占領されているのだという。自動車の所有から解放されればそれだけの敷地が空くことになる。高齢者による事故と免許の返納時期で煩わしい議論を交わす必要もない。筆者は車を単なる移動手段としか考えていないから、将来高齢者講習を受ける頃に自動運転が普及していたら迷うことなく免許を返納するだろう。マイナンバーカードとの一体化で免許証の身分証明書としての役割も希薄になりつつある。面倒な更新手続きと無駄なお金を使わなくて済むのであれば望ましい未来であると言えるだろう。

 

自動運転に関してはまだまだ否定的な意見が多いが、これは10数年前までのスマートフォンに対する我々の印象と似ている。当時はガラケーで十分だと考えられていたし、スマホの利点が不明だった。それに対して自動運転は先に述べた通り明確なメリットがある。テスラの電気自動車にスマート・サモンという機能が追加された。日本語で表現すれば「呼び寄せ」機能と言えば分かりやすいだろうか。駐車場から自分の居場所までスマホ操作で車を呼び寄せる便利機能だ。現状、運転者が目視確認できる環境でのみ使用可能なものであって、完全な自動化ではない。すぐに停止できる状況下でないと衝突の危険もある。ひとたび事故が発生すれば鬼の首を取ったかのように否定されるのが現実だ。そういう人たちは最初から完成形が出て来ると考えているのだろう。今では考えられないことだけど、20数年前のWindowsパソコンなんて年に何度も初期化しなければいけないほどのポンコツだった。当時のPC雑誌にはこう記されていた記憶がある。「現在のパソコンは自動車で例えれば30年以上も遅れている」。非常に壊れやすかった昭和時代の自動車に例えて表現していたんだ。それだけポンコツだったパソコンも、今ではめったに不具合もなく使えているし、操作も簡単になった。ネットの回線速度でも同様のことが言える。20年前までは物理メディアで音楽や映像作品を楽しむのが普通だったけど、今ではクリック一つで観賞できる。ディスクを挿入する無駄な手間が省かれたんだ。いつのまにか夢のようなテクノロジーが生活に馴染み、当たり前の風景になっている。自動運転車も同様に、あって当たり前、なくては生活が成り立たない当たり前の存在になるだろう。人間の管理が不要なサモン機能が実現し、家から離れた駐車場の行き来を車に任せられる日も近いだろう。

 

法定通貨の完全デジタル化で税務手続きが自動化される

 

デジタル通貨については別の記事でも扱うつもりだが、近い将来実現する話として一応紹介しておこう。デジタル通貨は、仮想通貨(暗号通貨)とは違う、中央集権的な管理体制下に置かれた電子版の法定通貨だ。これには様々な恩恵がある。例えば、お金の流れが容易に把握できるため、地下経済への資金流出を防ぐことができる。これまでは高齢者が詐欺に遭っても泣き寝入りするしかなかったが、犯罪が発覚した段階で資金の生き先を突き止め、強制的に巻き戻すことが可能になる。どれだけロンダリングしようと糸をたぐりよせるようにして資金の流れを把握できるから逃れようがない。そして我々国民は、災害時の給付を瞬時に受け取ることができるという恩恵が受けられる。日々の買い物や支払いでは当面の間はスマホやスマートカード(ICカード)を使うことになるのだろうが、いずれはスマホに代わるデバイスを使うか、体内にチップを埋め込んで決済するようになるだろう。デジタル通貨に統一することで税務手続きの自動化を図ることもできる。エストニアのように会計士や税理士に依頼する必要がなくなるかも知れない。この時点で先の三種の神器に上げたスキルのうちのひとつ、会計知識の必要性に疑問が持たれることになる。お金の稼ぎ方と使い方といったマネーリテラシーは人類にとって生きるためのサバイバルスキルとして不可欠ではあるが、煩雑な税務手続きや会計の知識がどこまで求められるのかについては疑問がある。デジタル通貨については後々個別のテーマとして述べるつもりなので、そちらの記事を参考にして欲しい。

 

今日は分かりやすい身近な例として移動手段と決済方法の変化について触れてみた。自動運転とデジタル通貨の話は未来構想としては有名なのでイメージし易かったと思う。次回はもう少し踏み込んでAIの進化と変わる仕事との向き合い方について話すつもりだ。

 

それではまた、後編の記事で。

2割の努力で天才に勝て AI時代の生き残り方

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私たちの能力、いわゆる「才能」と呼ばれるものは遺伝によって生まれながらに決定さているため、後天的に獲得することは不可能に近い。最近になってようやくDNAと才能の関係性が注目されるようになってきたが、かつての学校教育では努力を美徳とする傍迷惑な教えが横行していた。後就職氷河期を迎え、現実を突き付けられることではじめて“努力に無駄な時間を費やしてしまった”ことを後悔した者も少なくないだろう。

 

なぜお金のブログでこんなテーマを持ち出したのかといえば、才能と努力は仕事とお金に直結する要素だからだ。凡人が現実的に掲げられる目標は『一生飢えることなく最低限の努力で“人生逃げ切る”』ことだと筆者は考えている。資本主義社会で生き抜くスキルこそが凡人に求められる武器なのだ。もちろん、お金を語る者としての最終目標はあくまでも富裕層になることだが、それを叶えるためにも先ずは己の限界を知り、来るべきAI時代に備えておく必要がある。

 

ネット上では努力否定派と肯定派に分かれ、各自の持論をもとにした激論が交わされているが、いずれもお粗末な上に答えと言えるものには辿り着いていない。多くが努力を頭ごなしに否定するか、ひたすら努力の重要性を説くという2パターンだ。これでは議論が平行線になるのも仕方がない。

 

ここでは才能と遺伝の関連性を理解した上で、凡人が天才よりも楽して生きるために最低限必要な努力について語って行く。

 

 

あらゆる能力の8割は遺伝で決まる

 

先ずは大前提として、遺伝的に才能の無い分野を後天的に獲得することは困難だということを理解しておこう。「不可能」ではなく「困難」と表現したのには理由がある。具体例を出すとIQが7割近く、数学力、記憶力、身体能力(スポーツなど)が8割、音楽の才能に至っては9割が遺伝によって決まると言われている。これ以外の分野の才能も例外ではない。生まれながら遺伝によって定められている。例えば、筆者は早く本を読めるようになりたくて速読術の本を読みあさった時期があった。左脳速読やスキミング、フォトリーディングといった手法を学んで試してみたのだけどまるで効果がなかった。その後、知識量が読書スピードを左右することを知ったのだが、それでカバーできるのはせいぜい2割程度で、速読の能力さえも7~8割方が遺伝で決まることを知って愕然とした。


人間の才能を凌駕するAIの性能

 

結局、何をやっても無駄という話なのかと何もかも放りだしたくなるかも知れないけど、これで話は終わりじゃないよ。凡人には凡人の戦い方がある。読書スピードも、先に紹介した通り7~8割が遺伝で決まると言われているんだけど、ここで何か気付かないだろうか。IQのような生涯を通して不動な数値でさえ遺伝で決まるのは多くても7割だ。100%が遺伝で決まるとは言われていない。努力で補えないのは多くても8割と見ておこう。逆を言えば8割を切り捨ててしまえば2割を努力でカバーできることになる。

 

たったの2割かと思った人は、今一度、時代の変化に目を向けてみてほしい。後々別の記事で取り上げるつもりだけど、AIに人間の仕事が代替される未来はすぐそこまで来ているんだ。当たり前になっていて気付かないかもしれないけど、かつて人間がこなしてきた仕事の多くは自動化されている。今はまだテクノロジーが人間の仕事をサポートする役割に留まっているけど、人間の能力を超える高性能なAIが実現すれば、殆どの仕事が我々人間の手を離れて行くことだろう。そうなったときに、今“才能”と呼ばれているものでどこまで戦えるのだろうか。既にAIに新聞記事や小説を書かせることだって実現しているんだ。早い段階で記者やライターの仕事は人の手を離れるだろう。そしていずれは作家業もAIの主戦場となるかも知れない。同様に作詞・作曲、絵、写真加工でさえもAIに代替可能だ。中国ではアナウンサーのAIが存在するという話は有名だろう。SF的な話だと「ゲキドル」というアニメに登場したアクトロイドが実現して、いずれ役者の仕事までAIに代替されるのかは分からないけど、プログラミングや事務仕事のような頭脳労働が一番最初に自動化される可能性が高いことは確かだ。その次がサービス業だろう。Amazonが開発した無人コンビニにより人間が接客する必要がないことが証明された。倉庫内作業や配送業もいずれは完全自動化して行くことだろう。こうなってくると、コンピューターに取って代わられることのない仕事や能力は限られてくる。プロ棋士やスポーツ選手といったタレント性のある職種は才能と個性で食いつなげられるかも知れないけど、それ以外の仕事はどうなるんだろうね。これもまたSFチックな話になってしまうが、いずれは脳にチップを埋め込むことで暗記学習が不要になる可能性もある。今のテクノロジーで既にマインドライティングは実現している。これは、頭蓋骨にセンサーの役割をする細い電極を接続することで心に思い浮かべた内容を文章としてアウトプットする技術だ。IoTを更に進化させたIoB(物と身体を繋げる)が一般化する未来も訪れるだろう。私的には、いずれ映像もアウトプットできるのではないかと考えている。尚、イオーロン・マスク氏は既に「Brain Machine Interface」という脳に接続するデバイス(いわゆる脳に埋め込むチップ)を研究しており、動物実験の段階にまで辿り着いている。いつの日か知識をインプットする時代が実現した暁には、語学や歴史などの暗記系科目はインストールに頼り、獲得した情報を応用するスキルが問われるようになるだろう。しかしながら脳の構造は複雑であり、依然として完全な解明には至っていたい。さすがに脳にチップを埋め込んで生活するのは遠い未来の話だとしても10~20年のスパンでAI時代を捉えたとき、テクノロジーで人の能力を拡張していくことになることは確かだ。それは、計算機の登場でそろばんの有段者が手形交換所での仕事を失ったのと同じようなことだ。今は識者が近くにいなくてもスマホ等のデバイスを使って知識の不足を補うことができる。スポーツのような一部の才能を除けば人間の能力にさほどの差は生じないのかも知れない。

 

努力は2割に留めて8割はテクノロジーに頼れ

 

人間が何もしなくても良い世界には、今の時点ではまだ辿り着いていない。テクノロジーに依存するにしても、最小限の努力は求められる。具体的に言えば、中級以下のプログラマーが不要になるからプログラミングの勉強が不要になるというわけではないよ。むしろノーコードツールの普及に備えてITスキルは身に付けておかなければならない。時代の変化に取り残されることは資本主義社会では死を意味する。これは天才も凡人も同じだ。大昔に日本人の教養と位置付けられていた漢詩や古文の才能が今の実社会で金銭を生み出すスキルと言えるだろうか?予備校講師として名を上げたり研究者になれたりすれば良いが、才能に加えて運の要素にも左右される。そして、近年では変化が益々激しくなっている。一昔前までは英語、IT、会計が三種の神器と言われていたが、今ではこのうち会計が抜け落ちようとしている。このような時代の流れに付いて行く柔軟さが大切になる。

 

結論は簡単だ。タイトルに上げた通り、凡人は2割の努力を惜しまないことだ。たった一つの分野に精通した天才よりも、100の分野を広く浅く知る凡人の方が知識も豊富であり、あらゆる事態に対処する判断材料を持っている。現代では足りない部分はテクノロジーで補完することができる。例えば筆者は重度の方向音痴で地図を読むのが苦手だが、スマホのナビを使うことで見知らぬ土地でも難なく目的地に到着することができる。この時点で、地図を読む才能があまり意味を成さないことが分かる。完璧を目指さず広い教養を持つことを意識すれば良いだけなのに、何故か天才と比較して努力を否定しようとする。将棋をする人はみんな羽生善治を目指しているのだろうか?野球をする人がみんなイチローである必要があるのか、乗馬を嗜む人が武豊にならなければいけないのか...。そんなわけあるかと笑ってしまうかも知れないけど、才能と努力を巡る議論では同じようなことを主張する人がいるんだよ。何事に於いても天才と並び立とうとする。そして才能がないという理由で努力を否定するんだ。何度も言うが遺伝で決まるのは8割だ。逆を言えば2割は後天的に習得することができる。ならば、やらない理由はないだろう。将棋もスポーツも乗馬も、もちろん音楽だって、人生を豊かにし、他者とコミュニケーションを図るためのツールとして嗜めばよい。極めようとしなければ良いだけの話だ、

 

一つの分野に費やす時間は20時間を目途にする

 

具体的なアドバイスをしよう。ここまで聞いても何をどう努力すれば良いのか分からないという人には、1つの分野に20時間費やすことをお勧めする。これは、その道のプロには及ばないが、アマチュアとしては十分実用可能なスキルを身に付けられる学習時間だ。

 

繰り返しになるけど才能の80%は生まれながらに決まっている。だから100%を目指す努力は無駄になる。だけど、残り20%は後天的に習得することは可能だ。そのために必要な時間が20時間だ。未知の分野で2割を習得することを目指すのであれば、この努力は決して無駄ではない。具体的な方法については、以下の本が参考になるだろう。

 

hb.afl.rakuten.co.jp

 

圧倒的知識量で生き残れ

 

8割の努力で広く浅く、質で勝てないのなら量で勝負するのが凡人の戦い方だ。

なんだそんな結論かと思うかもしれないけど、一つの分野に固執し、人生を懸けるような誤った努力に突き進みそうになった経験はないだろうか。世の中には英語を習得するためだけに何十年も勉強し続けたという人もいる。毎日、寝る時間以外はずっと英語だけ勉強するような生活だ。こういう人は他のスキルが疎かになるので、絶望的なまでにITに疎かったりする。時代の変化について行けなくなるんだ。最近では否定されているけど、一時期は語学学習者の間で「1万時間の法則」が有名だった。これを盲信して時間をドブに捨てた人も少なくない。8割の才能が遺伝で決まるのに1万時間努力したところで2割をカバーする以上の成果は期待できない。それならば、1分野を習得するのに最低限必要な20時間の努力に留めて、残りの時間は他のスキルの習得に回すのが賢いやり方だろう。英語学習者みんなが通訳者や翻訳家になるわけではないのだし、数学を勉強する人がみんな数学者になるわけではない。外国人とコミュニケーションが取れること、受験に受かることが目標なのであれば、特別な才能など無関係だ。それに、先の職業もAIへの代替可能性が示唆されている。短期間で莫大な利益が上げられるのでもなければ、人生の中の限られた時間を費やしてまで習得するほどのスキルではないだろう。

 

2割の努力と8割の天才任せ

 

心配しなくても資本主義社会では自ずと競争が生じて誰かがそこに身を投じてくれる。その中でごく一部の天才たちが勝手に競い合って勝手に発展させてくれるのだ。凡人はその成果に便乗すれば良い。今流行りのインフルエンサーやネットビジネスの成功者は他人の作ったプラットフォームに依存することで巨額の富を得ている。彼らは無から何かを作り出すことはできないが、他人の作り出したシステムに乗っかることで利益を上げているのだ。プラットフォームを駆使してノーベル賞の賞金額を僅かひと月で稼いでしまう者など珍しくない。少ない稼ぎの天才と、僅かな努力で稼ぐ賢い凡人。果たして資本主義社会に於ける勝ち組はどちらだろうか。

 

これに異を唱える人は、我々の日常生活が他人の才能にあやかることで成り立っていることに気付いているだろうか。ビル・ゲイツにはなれなくてもWindowsパソコンやOfficeソフトのスキルを生かして働くことはできる。スティーブ・ジョブズにはなれなくても、アプリ制作で稼いでいる人は存在する。そしてこれからの時代はノーコードの普及により国民総プログラマー化が予想される。無から生み出す天才でなくても、ほんの少しのアイディアとテクノロジーを駆使することで逆転を図ることができる時代は、すぐそこまで来ているんだ。

 

今日は凡人が天才に勝つ方法とテクノロジーを駆使した新しい生き方について語ってみた。次回以降もAIに関連するテーマは取り扱うので、興味があったらチェックして欲しい。

 

それではまた、次回の記事で。

多額の借金から逃れる方法と注意点、今後の法改正等

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かつて法律職界隈で「クレサラ」案件が盛り上がりを見せていたことは筆者の記憶の中では新しい。今でもたまに「過払い金請求」の宣伝を目にするけど、既にほとんどの債務者が回収してしまっているからこの案件で儲けるのは難しいのではないだろうか。

2000年代初頭にはヤミ金問題が大々的に取り上げられて、法改正も行われた。それに伴う被害者救済の破産手続きなどで、当時は弁護士だけでなく司法書士に相談する人も多かっただろう。

そんなわけで今日の話題は借金返済回避についてだ。一応ここではお金に関連する話を行って行くので、債務の取り扱いについても守備範囲内ということになる。実例を基に、特に低所得の債務者が注意するべきこと、取るべき回避策について話して行こうと思う。

 

 

金額は関係ない、大事なのは債務者であるあなたの資産状況

 

ひろゆき氏が「借金が1億だろうと1万円だろうと、返せないのであれば同じだ」という話をしていたことがあったんだけど、これは至極真っ当な見解だ。「こんな金額返せないから自殺するしかない」なんて判断は愚か以外の何物でもない。厳しいことを言うようだけど、そういう人は法治国家の仕組みを逆手にとって回避する手段を見出すこともできず、情弱であるがために命を捨てただけだ。

もちろん、あなたが高所得者であり、不動産や有価証券を持ち、それなりの預貯金を持っているのであれば話は別だ。債務整理を弁護士に依頼して債権者を説得して返済しない限りは現在の生活を維持していくことは難しいだろう。社会的地位のある人間であれば尚更強制執行は避けなければならない。返済を怠り、裁判所から強制執行の許可が下りれば、あなたの給料や所有財産は、動産、不動産を問わず生活必需品以外は差し押さえられることになる。給料に関しては職場に債権者から連絡が行くので、借金を抱えていることが仕事先にバレてしまうことになる。責任ある立場にある人にとっては傷跡を残す最悪な事態だろう。とはいえ、富裕層であっても家具や衣類、業務に用いる機材等は差し押さえの対象とはならない。あの堀江氏でさえ持って行かれたのは大型テレビと三味線だけだ。場合によってはそれさえも仕事で使う物であれば取り上げるのは難しい。大事なのは、自分がどのような立場にあるのかだ。もしあなたが安定した職に付いており、年収400万円を超える収入を得ているのであれば、ちょっと気を付けた方が良いかも知れない。

 

借金が会社にバレる? 高所得者ほど差し押さえを警戒しなければならない

 

冒頭で話したけど、借金額が1億円だろうと1万円だろうと、その人にとって支払えない金額なのであればどうすることもできない。債務者がこの先高所得者になる可能性があったり、既に動産、不動産で財産を所有しているのであれば、返済額に達するまで全て持って行かれることになるが、あなたに失うものがないのであれば取り立てようがない。

ここで、前の項目で話した年収400万円以上の人について言及していくことになる。「たった400万?」と思うのは早計だ。日本人の平均年収は440万円ほどとされているが中央値は240万円から450万円の間に納まると言われている。これが多いか少ないかはその人の家族構成や健康状態、日々の支出額によるんだけど、ここから更に所得税と都道府県税、市町村税で2割程度持って行かれて、さらに家賃やその他諸々の支払いに充てて生活費を残そうとすれば贅沢できないことぐらいは分かるだろう。年収1千万円の人でもそれほど裕福ではないと言われている理由はそこにある。参考までに、年収1千万円の人が実際に手に出来る金額(手取り)は800万円に届かないことを確認しておこう。高所得者は住宅ローンや家族間の付き合い、会社関係者の冠婚葬祭、子供の教育費でかなりの出費が見込まれる。多くの人が想像しているような富裕な生活は難しいことが分かるだろう。

 

とはいえ、仮にあなたが『高額所得者に見えるかもしれないけど実際には税金や保険料の支払いで生活が苦しいんだ!』と説明したところで債権者にとっては知ったことではない、借金を滞納している場合には月収の1/4(子供の養育費は1/2)が毎月の給料から差し押さえられることになる。たった4分の1かと安堵した人は注意して欲しいんだけど、これは月あたりの手取りが44万円以下の債務者を対象にした差し押さえ金額の計算方法だ。あなたの毎月の手取りが45万円以上なのであれば、33万円を超えた分は全額持って行かれてしまう。仮に手取りが50万円なのであれば、17万円が差し押さえられることになる。1/4の12万5千円とはならないんだ。稼げば稼ぐほど持って行かれるのだから、最悪、一生借金返済のためだけに働き続けることになる。そういう人は素直に破産するべきなんだけど、経歴に傷がなく、安定職に付いている人こそ躊躇しがちだ。こういうところで社会的強者は追い詰められる。どうしても差し押さえられたくないのであれば破産手続きに踏み切っても良いけど、高所得者の場合は債務額によっては免責許可が下りるかどうかも分からない。一時的に強制執行を中止させることができるんだけど、給与からの差し押さえ予定額は勤務先に保管されることになる。つまり、判決が出るまでの間は1/4(または33万円を超えた分)を差し引かれた手取りとなってしまうんだ。こうしてみると、立場があって収入の大きな人間ほど難しい立場に追い詰められることが分かるだろう。逆に持たざる者は何も気にしなくて良い。最初に話したように、債務額が1万円だろうが1億だろうが関係ない。消費者金融から借りながら生活しているような人の動産に差し押さえの価値なんてないだろうし、不動産や有価証券もないだろう。あったとしても既に手放しているのではないだろうか。家電だって堀江氏のような高額な大型テレビならともかく、二束三文にもならないジェネリック家電なんて回収したところで手続に要した費用の方が高額だろう。パソコンも仕事に使うものであれば差し押さえられないし、そもそも今時は発売後間もないパソコンであっても買取店に持ち込んだところで1万円にもならないというのが現実だ。自動車に関しても、査定金額が20万円に満たない場合は差し押さえられない。貴金属や高級腕時計、陶芸品、不動産以外でまともな価値のある物なんてそう多くは存在しない。法律が変わったと言うのもあるんだけど、身ぐるみ剥がして債権を回収していた戦前とは物の価値がまるで違うんだよ。訴訟を起こす場合も同様のことがいえる。被告になる相手に社会的地位も財産もないのであれば無視されて終わりだろう。それかリテラシーの無い人間を一時的に怯えさせるぐらいの効果しか期待できない。訴える場合も相手がどういう存在なのかをしっかりと確認しないと時間と費用の無駄になる。

 

債権者泣かせの「無敵の人」は存在するのか?

 

あなたがもし多額の債務を抱えていたとして、そこから逃れるにはどうしたら良いのかについては、先に説明した通り各々の社会的立ち位置によって異なる。もしあなたが高学歴で新卒から大手企業に勤務している、あるいは公務員として安定した収入を得ているのであれば、今の生活を失わないためにも早めに弁護士に相談して任意整理をするべきだろう。債務額にもよるけど、素直に完済する以外の選択肢は見つけにくい。妻子持ちの人であれば更に選択の幅が狭くなってくるだろう。借金を理由に関係がこじれて離婚した場合、更に養育費の支払い義務を負うことになる。これに関してはそれこそ命を断つ以外に逃れる手段はないし、滞納している場合は手取りの1/2が差し押さえの対象になるという極めて厳しい状況に追い込まれることになる。一生資産の形成ができなくなるし、経済的自由なんて手にする未来は訪れないだろう。

では、サブタイトルにある「無敵の人」とはどんな存在なのだろうか。ここまで話してきたらもう分かるだろう。社会的地位のある人間とは間逆の人だ。安定職についておらず、価値のある動産もなく、不動産も有価証券も預貯金もまともに所持していない人間だ。こういう債務者が一番厄介だし、はっきり言って債権者側の弁護士にはなりたくない。損をすること覚悟で強制執行をかけたとしても、所持している現金が66万円以下であれば取り上げることができない。消費者金融から借り入れてその日暮らしをしているような人に一括返済を迫って裁判所命令が出たとしても、こういう人が67万円以上の現金を持っているのかと言われると大いに疑問だ。預金残額も極めて小額かゼロに近いだろう。その上、動産も不動産も持っていないとなれば、あとは給料の差し押さえしかできない。ここで債務者側の視点から注意したいのは、どれだけ低所得でも1/4(養育費は1/2)は差し押さえられてしまうということだ。仮に10万円しか手取りがないとしても、しっかり2万5千円を持って行かれることになる。そうなると7万5千円しか手元に残らないから、最低限の生活すら厳しい状況になるだろう。そのような場合には「差押え禁止範囲」を拡張してもらうように裁判所に申し立てを行うことになる。

 

ここまで話すと、結局「無敵の人」は存在しないんじゃないかと思うかも知れないけど、そんなことはない。何をどうやっても差し押さえ不可能な収入がある。それは生活保護費だ。これは生活保護法第58条及び59条の「差押・譲渡禁止」の根拠に基づき、一切の取り立てができなくなくなっている。債務者側の弁護士は各債権者にその旨通達した上で債権を放棄してもらうか破産手続きをすることになる。同時廃止となれば強制執行も中止され、どの道債権回収を遂行できなくなる。しかし、債権者側が債務者の収入を受け取る銀行口座を知っている場合には少々厄介なことになる。差し押さえ禁止財産ではあるのだが、一度相手の手に渡ってしまうと取り戻すのに手間がかかってしまう。債務者側は収入受取口座を速やかに変更するか手渡しで受け取るようにした方が安全だ。もちろん、早期に弁護士が関与して破産手続きを進めておけば債権者は手が出せなくなる。債務者側には口座変更と弁護士相談を同時に行うぐらいのスピード感は欲しいところだ。

 

国民健康保険や年金、税金は別格

 

一般的な債権の差し押さえ範囲については先に説明してきた通りだけど、税金の場合には範囲が異なってくる。債権者が私人の場合には督促状の送付や裁判といった手間がかかるんだけど、税金の場合には督促状の発行から10日以内に滞納額を完済しなければ給与や財産を差し押さえできることになる。かなり厳しいよね。そして差し押さえ禁止範囲は以下の通りだ。

 

・社会保険料や所得税、住民税等の給与の控除対象

・給与額から所得税や住民税、社会保険料を控除した額のうち20%

・毎月10万円

・同一生計に属する配偶者や子供等の親族一人当たり4万5千円

 

※国税徴収法第76条第1項及び施行令第34条参照

 

私人の場合が手取り(給与額から所得税や社会保険料等を差し引いた額)から3/4が差し押さえ禁止であったことを思うと、差し押さえ可能な範囲が広がっていることが分かると思う。ここでもやはり、所得の多い人ほど厳しい状況になる。

 

尚、年金の滞納の場合にも督促状の指定期限から10日以内の納付が必要だ。これを守らなかった場合には「差押予告通知」が発送されるが、この段階で既に差し押さえの準備が進められている。差し押さえの対象者は本人以外の連帯納付義務者、つまり世帯主や配偶者にまで及ぶから、納付額を賄うために本人以外の親族の財産まで取り上げられることになる。私人の債権者とは異なり、破産することもできない債務なので、逃れようがない。これに関してはどうしようもないので、支払えないのであれば低所得で困窮している者と同様に免除手続きをするなどの対応が必要だ。無視しておけば良いという問題ではないんだ。

強制徴収の対象者は年所得(控除後)300万円以上で、7か月以上滞納している者とされているので、結構当てはまる人は多いと思う(4万人近くが強制徴収の対象)。所得もちょうど中央値に当てはまるからね。

 

先に説明したように、どうしても経済的に支払いが難しいのであれば保険料免除制度を使ってみると良いよ。全額免除にしなくても、1/4、3/4免除や納付猶予制度がある。所得に制限もあるので、詳しい条件については日本年金機構に確認してみると良いだろう。

 

税金に関しては支払う以外に道はない。相談すれば分割納付も可能なので、早期に話し合っておいた方が良いだろう。養育費も逃れることができないが、それ以上に税務署の追求は厳しい。あなたの命が尽きるまで、一生、どこまでも追いまわされることになる。例え国外に逃げたとしても現地の税務当局に協力を要請して徴税を図るだろう。近い将来デジタル通貨が実現すれば容易に個人の資金移動を追跡することが出来るようになる。このような苦悩を一生涯抱えることがないように、税金や年金の問題だけは無視することなく真摯に対応することをお勧めする。

 

変わり行く法制度

 

結局、生活保護受給者のような法的に取り立てることが不可能な対象以外が賠償金や借金から逃げ果せることは不可能なのだろうか。これについては今後益々難しくなって行くだろうというのが正直な感想だ。それというのは過去にひろゆき氏が見事に莫大な損害賠償を回避して見せたからだ。あくまでも損害賠償の話なので借金回避とはまた違ってくるんだけど、所謂「無敵の人」であってもそう簡単には支払い義務から逃れられないということには変わりはない。10年間一切の支払いをせずに差し押さえもされないまま過ごすことができれば時効となるけど、それでは犯罪被害者が救済されないという問題もあったので、損害賠償請求に関しては今後より一層厳しい取り決めがなされる可能性がある。民事執行法の改正案によれば、裁判に出廷しない債務者を強制的に連行することや、罰金に加えて懲役刑も罰則に加え入れる案も出ているようだ。

正直なところ、筆者がその話を聞いたときには民事と刑事を取り違えているのではないかと疑問を持ったよ。罰金額の値上げならともかく、民事事件の解決のために懲役刑を加え入れるという提案は正気の沙汰ではない。民事解決のルールを根底から覆しかねない改正(改悪)案と言えよう。しかしながら、将来どのように法システムが再構築されていくのかについては未知数だ。犯罪被害者保護の観点からは、損害賠償を国が立て替えることで救済して、その後債務者に対して取り立てを行うという手段も提案されている。既にこの方法が実施されているノルウェーのように執行庁が日本にも設置されて、被害者救済が容易になる時代が来るのかも知れない。

 

今日は借金の返済から逃れる方法の話題から年金や損害賠償請求の現状についても踏み込んでみた。長くなってしまったけど、いざというときの参考にしてもらえたならうれしい。

 

それでは、また次の記事で。

新しい通貨の普及と課題 デジタル通貨時代に先駆けて

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今日は「お金の雑学」として未来の通貨について話して行く。最近はテレビを見ていても新型コロナウイルス関連のニュースが多いから、どうしても他の問題に関心が向き難くなっているんだけど、その最中にあっても政府はデジタル通貨の研究を着々と進めているんだ。理由は中国のデジタル人民元の実現が迫っているからなんだけど、そこには基軸通貨の交代など様々な要因がある。2024年には新紙幣に切り替わるのに何故今になってと思うかも知れないけど、私たちの価値観がどうであれ、時代は移り変わり、金融システムも転換期を迎えて行く。新時代の通貨を受け入れるかどうかを議論する前に、先ずは従来の通貨と向き合いながら、改善点を模索して行こう。ここではみんなも既に利用している電子マネーの話も取り入れながら、まったくより良い通貨について考えていきたい。

 

 

長引くデフレを解決したい 通貨流通量を促進する方法はあるのか?

 

 不安に比例して蓄積される個人貯蓄

わが国では昔から質素倹約は美徳とされてきたが、これは個人レベルでの話だ。経済全体で見れば、むしろ悪行に近い行為と言える。デフレの最中に金融緩和でマネ―ストックを増やしたところで、個人も企業も積極的に融資を受けようとする人は少ないだろう。景気の後退から事業を縮小する企業も増え、雇用も安定しない。こうなってくると、将来への不安から更に貯蓄が増えて行く。日本におけるタンス預金額は国民全体で50兆円とも言われていたが、今年になって100兆円に登るとも試算されている。一説にはコロナ禍で消費が落ち込んだことが原因とされているが、いずれにせよ需要を生み出して供給を引き出してやらなければならない。これに関しては、過去の記事でMMTを解説しているのでそちらに譲るとして、公共投資の不足以外に景気回復を阻害している問題について考えてみると、資金の滞留が少なからず悪影響をもたらしていると言えるだろう。もちろん、失業して明日を生きるお金もない人もいるけど、疑心暗鬼から消費を抑え込み、ひたすら使わずに貯め込む傾向にあることは、昨年度(2020年)に日銀が発表した資金循環統計(7~9月期)の結果からも明らかだ。それによると、9月末時点で個人(家計)が保有する現金・預金額が1034兆円とされている。2019年と比べて4・9%も増加しているんだ。

 

 現金主義は悪なのか? デジタル通貨の普及で変わる世界

経済産業省が電子決済(電子マネー)の普及を促進してきた理由には消費を促す狙いがあるとされている。便利で決済が効率的だからとか、現金よりも衛生的(スマホも汚いとか言わないでくれよ?そこは各自で除菌するなりしてくれ)だとかの理由もあるんだけど、もちろんそれだけではないよ。そうまでして電子マネーを使ってもらいたいのは、お金を使うことに対する心理的ハードルを下げるためでもあるんだ。現金を使うとき、人は精神的苦痛を味わうのだという。「お金持ちになりたければ長財布を使え」とか「お金を大切にしなさい。ピン札を持つと良い」とか言われるのは風水的な理由というよりはお金を使うことへの心理的なハードルを上げるためでもある。長財布だと紙幣が曲がらないし、そこにピン札を入れれば綺麗なままだ。そうすると、尚更使いたくなくなってしまう。と、これはあくまでも節約、貯金分野での話で、マクロな視点で見ればできるだけ貯め込まないで使って供給を促進して欲しいんだよ。例えば、タフツ大学でデジタル通貨を研究しているバスカー・チャクラボルティ教授なんて「現金は経済にとって害だ」とまで言ってしまっている。どういうことだよって思った人はじっくり考えてみて欲しいんだけど、現金主義は消費を抑制する以外にも賄賂やヤミ金業の存在できる環境を作ってしまった元凶だと言える。賄賂なんて、電子マネーで授受していたらすぐに見つかってしまうよね。闇金に関しては未だに借主が悪と誤解している浅はかな人がいるんだけど、ヤミ金業者が何をしているのか考えたことはあるだろうか?出資法に抵触する莫大な利息を取り、金融庁に営業許可も取っていないから当然税金も納めていない、挙句反社会組織の活動資金として流れている。明確な法律違反を「借りたものは返せ」という道徳心で庇っている愚か者の多さには驚愕するが、それは個人の勉強不足の問題だからこの際どうでも良い。現金の便利さ、手軽さの裏にはそうした反社会的組織に利用機会を与えているのだという副作用があることを知っておこう。

 

ハーバード大学の経済学者、ケネス・ロゴフ教授によると、現金の多くが地下経済に流れているのだという。日本のヤミ金と同様に、税金を支払われることもなく、ひたすら地下組織の活動資金になっていたり、汚職に使われているんだ。その総額は、アメリカでは1兆4300万ドルだから、米国のGDP(約21兆ドル)の7%もあることになる。

こうした通貨の悪用を防ぎつつ、自然にお金を使ってもらえるようにするための方法として、先に話した電子マネーは有効となる。支出の心理的ハードルを下げ、尚且つ悪用され難いという観点からも広く勧められる決済手段だと言える。そこには当然、ハッキングによる強奪や不正の恐れがないとは言えない。新しい法定通貨の形であるデジタル通貨の利点が銀行強盗被害を減らせるというが、昭和の時代じゃあるまいし、今時銀行には多額の現金を置いていることなんてまずないよ。消費を促す以外の利点としては効率と衛生面、そして年間2兆円もかかっている現金輸送費用の軽減だろうか。現在、政府通貨のデジタル化も検討されているけど、災害国では現金を完全に廃止することは難しいかも知れない。そうなると、現金と電子マネーの比率は7:3ぐらいが妥当だろうか。いずれにしても共存の形を取ることになるのだろう。

 

国家から独立した貨幣「仮想通貨(暗号資産)」の有効性

 

ビットコインのような仮想通貨の場合には中央銀行のような管理者が存在しないため、金融政策による影響を受けることがない。また、為替や貿易摩擦に左右されることもない。発行量はプログラムによって決められているため、増やすことができない。取引記録は全使用者が共有していて、複数のパソコンで記録が取られているから不正があってもすぐに発覚する。技術的な課題は残されているものの、テクノロジーに信用を支えられた暗号通貨は新たなお金の形として期待できるものだと考えられている。しかし、よく考えてみて欲しい。現状、注目されているのは技術的な課題ばかりで、政府が行う政策をどうしていくかについては議論されていない。中央銀行の政策や為替や貿易摩擦に影響されずに独立した通貨を国民が保有したとして、経済政策はどのようにしていけば良いのだろうか。我が国のような災害国では、当然、公共政策は不可欠だ。コロナ禍で痛感した人も多いだろうが、助成金や給付金などの福祉政策も必要となる。政府が一切介入することがない仮想通貨を中心に経済がまわるようになった際の徴税方法の検討や相場変動への対策も必要だ。過去に何度も話しているけど、税金には通貨の信用を支える意義もあるんだ。要するに、日本円がないと税金を納められないから、仕方なくみんなが日本円を使っている。米ドルで買い物できるお店なんて無いだろう?これについては他国における税の役割にも同じことがいえる。一つの通貨の形として暗号通貨は存在できたとしても、主要な通貨になることは政策の観点から見て難しいだろう。しかし、ビットコインの要である取引データ技術であるブロックチェーンはデジタル通貨の開発に応用可能だ。仮想通貨の存在は、新たな法定通貨の誕生に寄与したんだ。

 

有効期限内に消滅するお金「スタンプ通貨」で消費を促す

 

これは「錆びるお金」とも言われていて、要するに、期限内に使わないと無効になってしまう通貨だ。私製通貨であるポイントに近いだろう。お店でもらえるポイントには長短問わず有効期限があるからね。とはいえ、多くのポイントは最後の買い物(新規ポイント追加)時点で有効期限が延長される。これを繰り返せるからポイ活が成り立つんだけど、期限の延長がなく、一律定められた期限内で使い切らせるアイディアがスタンプ通貨なわけだ。筆者も某家電店で頑張って貯めた結構な金額のポイントがチャラになったことがあるんだけど、それとまったく同じ悲劇が現金でも起こり得るということだ。堪ったもんじゃないね。とにかく消費を促したい、タンスに貯め込んでいる高齢者にも利用機会を与えようという意味では斬新なアイディアなんだけど、これを普及されると国民は将来のための貯蓄がまったくできないことになるよね?ただでさえ老後2千万円問題で騒いでいるというのに、期限付き通貨なんて普及させられるのだろうか。そして、資本主義のステータスである金融資産○円以上の富裕層のような称号も無くなることになる。資本主義の終焉が課題であればこれ以上のアイディアは存在しないのだろうけど、国民の将来への不安は続くことになる。しかし、毎月確実に飢えない程度の所得が約束されるのであればスタンプ通貨も悪くないだろう。そういう意味では、ベーシックインカムをスタンプ通貨で配布するという方法は使えるかも知れない。平成11年の小渕政権下で実施された地域振興券の配布がこれに近い形だろうか。ベーシックインカムとの違いは、全国民ではなく経済的弱者に限定されるが、困窮者の消費を促すには悪くない方策だったと筆者は考えている。しかしながら1度切りの配布では持続的な効果は得られないだろう。半年から1年間継続して特定層に配布するという試みがあっても良いかも知れない。ベーシックインカムの検証でクーポン通貨を配るアイディアは是非とも実現してもらいたい。

 

以上が現在知られている未来の通貨の形だが、どの形式を取るにせよ現状の通貨と併用されることになるだろう。それでも、数億、数千万円という資金をタンス預金することで「お金の血栓」を作り経済を停滞させている一部の富裕層の存在を思えば、相応の比率で消費を前提とした期限付き通貨やデジタル通貨に段階的に切り替えて行くことは有効だろう。電子通貨で心理的ハードルを下げるだけでも十分効果はある筈だ。

 

今日は新しい通貨の形について説明してきた。実用化が急がれているデジタル通貨についてはまた別の機会に話したいと思う。

 

それでは、また次の記事で。