タイトルの通り、今日から2回に分けてテクノロジーの進化について語って行くつもりだ。以前の記事でも話した通り、一見するとこのブログが対象テーマとしている「お金」の話とはあまり関連性がないように思うかも知れないけど、実は深く関わってくる問題なんだ。何故なら、投資や権利収入のような不労所得を除けば多くの人がお金を得るための手段として仕事をしているからだ。職に就くために懸命に学び、資格を取り、スキルを生かして金脈を掴む。会社員であってもフリーランスであってもそこに違いはない。一時期は英語、IT、会計の3技能が現代人の“三種の神器”として注目されていたんだけど、そんなトレンドにも変化が訪れつつある。先の3つのスキルが大切なことは今も変わりはないんだけど、それだけで稼ぐことは難しくなった。ITスキルにはプログラミングも含まれるが、近い将来ノーコードが主流となれば、誰でも簡単にアプリ作成ができるようになる。それこそエクセルで書類を作るような感覚で、上司から仕事で使うアプリを作るよう命じられる時代がやって来るだろう。シリコンバレーで活躍しているような上級エンジニアはノーコードツールを否定しているけど、当然彼らのようなエリートがすぐにお役御免となることなんてありえない。当面の間は安泰と言えるだろう。問題はWeb制作や簡易なスマホアプリの開発をしているような初中級レベルのエンジニアの存在だ。国民総プログラマー化が進めば、上級のエンジニア以外は生き残るのが難しくなるだろう。もちろん、ノーコードツールによる開発サービスを提供することで稼ぐことは可能だ。既にLステップやShopifyの案件をこなして稼いでいる人は少なくない。だが、そのようなネットビジネスを生業としている人たちにとっては、所詮は仕事もスキルもツールに過ぎないんだ。あくまでも稼ぐための手段であって、仕事それ自体が目的ではない。これについてはYouTubeで発信しているインフルエンサーの話を聞いていれば分かることだ。有名どころのビジネス系ユーチューバーにとって仕事とはあくまでもツールであり、スキルや肩書きに愛着なんて無い。時機を見て、方向転換のタイミングだと判断すればこれまでやってきたことなんて平然と放り出して次のトレンドへとシフトする。そのぐらいの切り替えの速さと機敏な行動が出来なければこれからの時代は生き残れない。
ここまで読んでくれたみんなに問いたのだけど、あなたは肩書きやスキルに愛着を持っている方だろうか。それとも所詮はお金を得るための手段と割り切っている、いわゆる「仕事ツール論」の人間だろうか。このどちらの立場に属するかによって、これからの時代の生きやすさが変わってくる。
シンギュラリティの到来まで残り24年程。人の知能を超え自ら進化するAIの誕生がそれより早いか遅いかは誤差に過ぎないだろう。戦争や災害で文明を失わない限りはほぼ確実にその時は訪れる。こうした激しい変化は不便な時代を経験している者なら身を持って体験している筈だ。駅の改札やスーパーのレジ、病院の受付、会計、映画館の券売やチケットの確認が自動化されたのはいつからだろう。今では当たり前のように使っている電子マネーだって、かつて中国の実業家、ジャック・マーが未来予想したときには正気を疑われたという話は有名だが、いつのまにか私たちの生活に溶け込んで、意識する間もなく人の仕事が機械に代替されている。あらゆる職業がAIに代替されることで、我々人間が労働から解放されたとき、仕事を生き甲斐にしていた人たちは何を望みに生きるのだろうか。AI人材という新たな仕事は生まれて来るだろうが、特定の職業や肩書固執しているような人間は切り替えることが難しいだろう。
それでは具体的にどのような変化が訪れるのか、向こう10~20年ほどで実現するだろう技術について簡単に見て行きたいと思う。
敵か味方か? AI弁護士の登場で変わる法曹界
2018年2月、国際法務を専門とする韓国の大手ローファーム、DR&AJUがAI弁護士を採用したニュースは、当時の法職関係者やテクノロジー界隈ではちょっとした話題となっていた。採用されたのはユーレックス(U-LEX)というAI弁護士で、訴訟の準備業務の一つである判例分析や法律条項の検討を僅か20~30秒で済ませてしまうという有能さだったという。ちなみに、従来通り人間の弁護士と秘書(パラリーガル)が仕事をすると、早くても数日、長いときは数カ月もの時間がかかる仕事だ。さて、もしもあなたが資金潤沢な法律事務所の所長であったなら、AI弁護士と人間の弁護士、どちらを雇うだろうか。筆者は今でも医師と弁護士の業務に於いて、AIは人間の能力を拡張するための道具として有効であると考えている。要は、医師と弁護士に関してはAIに代替されることはなく、あくまでもテクノロジーがペースペーカーとして機能するものと考えている。例えば東大病院で血液癌治療を発見したワトソンがそうだ。数千万にも及ぶ論文を読みあさり、僅か数分で診断を終わらせたIBMのAIは、確かに一人の患者の命を救ったんだけど、ワトソンの助言を受けて治療を実行したのは人間の医師だ。患者の経過観察を行ったのも当然人間の医療従事者だ。治療中の患者のケアも人間にしかできない。同様に悩めるクライアントの相談に乗り、ときには助言し、宥めることも人間の弁護士にしかできない。ユーレックスが採用された翌年、AI弁護士と人間の弁護士が企業法務で対決する「アルファロー大会」が開催された。これはいわゆる法律職版の電脳戦だ。競技種目は訴訟前に行う契約書(ここでは雇用契約書)の内容を検討するというものだ。結果は言うまでもないだろう、AIチームの圧勝だ。人間の弁護士に2倍以上の点差をつけての圧勝たった。人間が30分かける作業をAIが6秒で行うという話からも、力の差が窺える。興味深いのは、AIとタッグを組んだ人間チームも上位に食い込んでいることだ。このことから、煩雑な契約書の作成、検討作業や判例の参照をAIに任せ、クライアントとの打ち合わせや法廷に立つ仕事を人間の弁護士が行うことで、より効率的に業務をこなし、従来以上に弁護士の業務の幅を拡張することができると分かる。実際、業務の自動化にAIを活用すべく、数学や機械学習の習得に挑む弁護士も存在する。定型業務をAIに代替させることで、安価にサービスが提供できれば法務格差を解消できるし、空いた時間でクライアントとのコミュニケーションや問題解決に努めることもできる。来るべきテクノロジーの発展を悲観的に捉えるのか、前向きに捉えて自らのスキルに生かして行くのか、姿勢の違いが勝敗を分けることになるだろう。AIを導入するだけの知識や資金力のある弁護士であれば、わざわざパラリーガルを雇うことなく事務所経営が行える。所長一人で人間の業務を行い、残りはAI弁護士に任せることもできるので、利益だけ一人占めしてしまえるというわけだ。いずれにしても、AIを導入し、使える人材になることが勝利の鍵となるだろう。
自動運転の実現で自家用車の所有が不要になる
日本に於いては2020年に道路交通法と道路運送車両法が改正されたことで、レベル3(条件付き運転自動化)の開発が解禁されている。ネックとされていた法整備の問題をクリアしたことは大きい。この段階で高速道路でも自動運転車を利用できるようになるが、適宜ドライバーの介入が求められるため、自動車免許を所持する運転者の乗車が条件となる。まだまだ誰でも使えるものとは言えない。自動運転車の普及率は10年後で2割程度と見込まれている。2030年から東京都内でのガソリン車の販売が規制されるので、それに合わせた自動運転車への切り替えにも期待したいところだ。自動運転の実現には信号機や街路灯へのセンサー設置が必要になる。インフラを整えるためにも、全国の道路環境を自動運転仕様にしなければならない。道のりは遠いが、実現すれば赤信号での停車、障害物回避を確実にできるので、人間のドライバーが引き起こすような注意散漫による事故は無くなるだろう。いずれにしてもゴールはレベル5だ。これが実現すれば運転に要するシステムは一切不要となるため、ハンドルやアクセル、ブレーキが無くなる。運転席というものが取り払われ、快適な車内で読書や仕事に集中しながら移動することができるんだ。
これらは遠い未来の話に感じるかもしれないが、グーグルは既に161万キロもの走行実験に成功している。公道で2回事故を起こしているが、いずれも人間の運転する車によって引き起こされたものだ。レベル5の自動運転が普及した暁には、必要な時に誰に気兼ねすることなく自由に乗車できるようになるだろう。スマホ(またはそれに代わるガジェットが普及しているかもしれない)で車を呼び出す。乗客の位置情報と目的地は衛星で確認、支払いは電子マネーで自動引き落とし。高齢者の運転による事故を無くし、障害者の移動手段も確保できる。AIのお陰でハンディキャップを持つ人たちが誰に遠慮することもなく移動できるようになる。このような未来の姿が現実味を帯びている昨今にあっても、未だにATだのマニュアルだのとマウント合戦を繰り広げているのだから滑稽なことだ。
グーグルの共同創業者であるセルゲイ・ブリン氏によれば、多く見積もると市街地の50%近くが駐車場に占領されているのだという。自動車の所有から解放されればそれだけの敷地が空くことになる。高齢者による事故と免許の返納時期で煩わしい議論を交わす必要もない。筆者は車を単なる移動手段としか考えていないから、将来高齢者講習を受ける頃に自動運転が普及していたら迷うことなく免許を返納するだろう。マイナンバーカードとの一体化で免許証の身分証明書としての役割も希薄になりつつある。面倒な更新手続きと無駄なお金を使わなくて済むのであれば望ましい未来であると言えるだろう。
自動運転に関してはまだまだ否定的な意見が多いが、これは10数年前までのスマートフォンに対する我々の印象と似ている。当時はガラケーで十分だと考えられていたし、スマホの利点が不明だった。それに対して自動運転は先に述べた通り明確なメリットがある。テスラの電気自動車にスマート・サモンという機能が追加された。日本語で表現すれば「呼び寄せ」機能と言えば分かりやすいだろうか。駐車場から自分の居場所までスマホ操作で車を呼び寄せる便利機能だ。現状、運転者が目視確認できる環境でのみ使用可能なものであって、完全な自動化ではない。すぐに停止できる状況下でないと衝突の危険もある。ひとたび事故が発生すれば鬼の首を取ったかのように否定されるのが現実だ。そういう人たちは最初から完成形が出て来ると考えているのだろう。今では考えられないことだけど、20数年前のWindowsパソコンなんて年に何度も初期化しなければいけないほどのポンコツだった。当時のPC雑誌にはこう記されていた記憶がある。「現在のパソコンは自動車で例えれば30年以上も遅れている」。非常に壊れやすかった昭和時代の自動車に例えて表現していたんだ。それだけポンコツだったパソコンも、今ではめったに不具合もなく使えているし、操作も簡単になった。ネットの回線速度でも同様のことが言える。20年前までは物理メディアで音楽や映像作品を楽しむのが普通だったけど、今ではクリック一つで観賞できる。ディスクを挿入する無駄な手間が省かれたんだ。いつのまにか夢のようなテクノロジーが生活に馴染み、当たり前の風景になっている。自動運転車も同様に、あって当たり前、なくては生活が成り立たない当たり前の存在になるだろう。人間の管理が不要なサモン機能が実現し、家から離れた駐車場の行き来を車に任せられる日も近いだろう。
法定通貨の完全デジタル化で税務手続きが自動化される
デジタル通貨については別の記事でも扱うつもりだが、近い将来実現する話として一応紹介しておこう。デジタル通貨は、仮想通貨(暗号通貨)とは違う、中央集権的な管理体制下に置かれた電子版の法定通貨だ。これには様々な恩恵がある。例えば、お金の流れが容易に把握できるため、地下経済への資金流出を防ぐことができる。これまでは高齢者が詐欺に遭っても泣き寝入りするしかなかったが、犯罪が発覚した段階で資金の生き先を突き止め、強制的に巻き戻すことが可能になる。どれだけロンダリングしようと糸をたぐりよせるようにして資金の流れを把握できるから逃れようがない。そして我々国民は、災害時の給付を瞬時に受け取ることができるという恩恵が受けられる。日々の買い物や支払いでは当面の間はスマホやスマートカード(ICカード)を使うことになるのだろうが、いずれはスマホに代わるデバイスを使うか、体内にチップを埋め込んで決済するようになるだろう。デジタル通貨に統一することで税務手続きの自動化を図ることもできる。エストニアのように会計士や税理士に依頼する必要がなくなるかも知れない。この時点で先の三種の神器に上げたスキルのうちのひとつ、会計知識の必要性に疑問が持たれることになる。お金の稼ぎ方と使い方といったマネーリテラシーは人類にとって生きるためのサバイバルスキルとして不可欠ではあるが、煩雑な税務手続きや会計の知識がどこまで求められるのかについては疑問がある。デジタル通貨については後々個別のテーマとして述べるつもりなので、そちらの記事を参考にして欲しい。
今日は分かりやすい身近な例として移動手段と決済方法の変化について触れてみた。自動運転とデジタル通貨の話は未来構想としては有名なのでイメージし易かったと思う。次回はもう少し踏み込んでAIの進化と変わる仕事との向き合い方について話すつもりだ。
それではまた、後編の記事で。