ヒカリの学習ノート

ヒカリの学習ノート

「お金」が好きなら先ずは知ることからはじめよう!経済からお金の雑学、テクノロジーの動向まで、このブログを読めば一気に学ぶことができるよ。

誤った貨幣観が分断を招く-お金のプール論に溺れる人々-

f:id:aoyamahikari:20210830143237j:plain

思うところがあったので、改めて「貨幣観」に焦点を当てた記事を書くことにした。

経済関連の話題は過去にも何度か取り上げているし、いわゆる「国の借金」と呼ばれるものの正体や国債の取り扱い、税金の意味についてはその都度触れているんだけど、貨幣論を中心に話を進めたことはなかったので、この機会にまとめてみたいと思う。

 

あるインフルエンサーの発言とそれに対する反応を見ていると、世の中にはまだまだ誤解している人が多いことを痛感した。そうした発言や思想に至る根本的な原因はすべて“財源は税金で賄われている”という誤った貨幣観にあるんだ。件の人物を批判している人たちでさえ同じ貨幣観を持っていることには衝撃を受けた。今日はその部分の誤解を解消したいのと、改めて労働や生産性の意味についても見つめ直していきたい。

 

筆者の経験上、この話を素直に聞き入れられる人は極少数のはずだ。故に、納得できない、理解もしたくないという人を説得するつもりは毛頭ない。だが、資本主義社会に於いて税金の役割を正しく理解しないまま生きるということは、負の感情を生み出す元凶となることを理解して欲しい。多くの人は議員や公務員、社会保障費に至るまでが自分の税金だと信じていることだろう。そのような誤解はやがて被害者意識を生み出すことになる。高額納税者である渦中の人が怒りを覚えたのも全ては税の意味を理解していなかったからだ。

 

今回も具体例を交えて分かりやすく説明するように努めてみる。

国の借金とクラウディングアウト、国債の取り扱いを巡る議論についての詳細は過去記事を適当に読んで欲しい。

 

hikari-note.hatenablog.com

hikari-note.hatenablog.com

hikari-note.hatenablog.com

 

hikari-note.hatenablog.com

 

古い記事なのでいずれ修正版を上げるかも知れない。

 

それでは早速本題に入るろう。

 

 

21世紀になっても蔓延る「商品貨幣論」

 

「お金はみんなが“価値がある”と信じているから交換に使えるのだ」

 

物々交換を始まりとするこの貨幣観は「商品貨幣論」と言われていて、未だに多くの人々が信じている。一見正しいようにも思えるんだけど、この発想の根底にあるものは金本位制の価値観だ。要は「お金」とは金貨や銀貨のような有限の資源であるという発想だ。

 

金貨・銀貨と現代のお金は違う

 

多くの人が21世紀にあっても中世の貨幣観のまま停滞している

 

かつては金貨・銀貨を貨幣として用いていた時代があった。その当時、通貨の価値は金の希少性に支えられていた。もちろん、希少というからには採掘量も限られていることになる。経済を立て直すために財政出動をしたくても肝心の金がなければ金貨は発行できない。含有量を減らして発行するにも限界がある。そこで、増税という形で国民から財源を掻き集めることになる。集めた金貨・銀貨には限りがある。例え国内に十分な労働力や資源があるとしても、雇用を創出するための財源にも限界がある。これこそがまさに「お金」を金貨や銀貨などの「物」と考える思考「お金のプール論」だ。某アパレル大手の社長が東日本大震災の後に緊縮財政を勧める発言をしたのも、未だにこの金本位制の時代の貨幣観から抜け出せていない証拠になる。大物実業家でさえ”お金の正体”を見誤っているんだ。

 

兌換紙幣と不換紙幣

わたしたちが日々の買い物で使っているお金の原形となったものが「兌換紙幣」なんだけど、これも金という価値の裏付けで生まれた貨幣なので、財源確保の根本的な問題解決には至らなかった。そこで金の裏付けを排した不換紙幣が登場する。これが、現代わたしたちが使っている「お金」の正体だ。その価値は通貨発行国が定めている。これを「国定信用貨幣論」という。お金を有限のものと考える「商品貨幣論」とは対極にあることが分かるだろう。現在では金と交換可能な兌換紙幣は存在しないため、1万円札を日銀に持ち込んでも金に交換してもらう、もっと強い表現をすれば「金を返してもらう」ことは叶わない。このことからも、国定信用貨幣論はお金の正体を説明した貨幣観と言えるだろう。欠点としてインフレリスクが指摘されているが、すべては供給力次第ということになる。戦中戦後や災害時などの人材も資源も著しく棄損した時期に大量の紙幣を発行すれば当然需給のバランスが崩れてインフレになるだろう。当たり前の話だ。

 

もしも世の中のお金が今でも「金貨・銀貨」だったなら

その場合は「わたしたちの税金」で財源が確保されていることは間違いない。何せ金(ゴールド)という有限の資源である以上、国も資金を用立てる手段が他にないからね。

f:id:aoyamahikari:20210830134901j:plain

出典「ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~」(餅月望/原作、杜乃ミズ/作画、Gilse/キャラ原案)

 

参考までに、金貨・銀貨の時代の貨幣観を、筆者の好きな小説「ティアムーン帝国物語」(餅月望/原作)の漫画版から引用してみたいと思う。

f:id:aoyamahikari:20210830135401p:plain

出典「ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~」(餅月望/原作、杜乃ミズ/作画、Gilse/キャラ原案)

 作中の世界では国債を発行して財政出動することはできないので、姫殿下自らが身を削ることに(ミーア姫には別な思惑もあるが)。

f:id:aoyamahikari:20210830135807p:plain

出典「ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~」(餅月望/原作、杜乃ミズ/作画、Gilse/キャラ原案)

 

かつての「税金」の目的はまさに財源確保にあったことが容易に想像できるようになっただろうか。

 

このように中世を例に考えれば分かりやすいと思う。

 

a.r10.to

 

引用した作品では、主人公のミーア姫が自国の貧民街「新月地区」の人々を救いたいと考えた(暴動や疫病の蔓延を防ぎたいという意図もある)のだけど、肝心の予算がなかったんだ。そこで姫殿下自らお気に入りだった高価なかんざしを文官(税務官僚)のルードヴィッヒに託したのだ。主人公のミーア姫にはそこまで深い考えはなかったんだけど、ここでは物語の詳細までは省くので、気になる人は原作かコミックを読んでみて欲しい。

 

言うまでもないことだけど、いくらミーア姫から預かった髪飾りが高価だとしても、街一つを立て直す予算としては不足する。

f:id:aoyamahikari:20210830135921p:plain

出典「ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~」(餅月望/原作、杜乃ミズ/作画、Gilse/キャラ原案)

そこで、貴族たちをけしかけて無理やり寄付を募り(むしり取り)、どうにか必要な予算を用立てることに成功したんだ。

 

件の社長が全く同じ中世の貨幣観であることが分かるだろうか?「税金が財源」だと考えている人にとっての国の財政はこのような仕組みになっているんだ。

 

繰り返しになるけど「お金のプール論」の人たちの思考では、どこかにお金(中世であれば金銀財宝)が集められている保管庫がある。それは全て国民から掻き集めた財源で、限られたその予算の中から議員や公務員の給料、公共事業や社会保障費に充てられているのだ…と。

 

引用した物語の世界であればそれが真実となる。つまりは「商品貨幣論」に基づいてお金が運用されているのだから仕方の無いことだろう。国が価値を定めた法定通貨ではなく、採掘量に限りがある金という不安定な価値に支えられた通貨なのだから致し方ない。

 

しかし、現代のお金は不換紙幣だ。中央銀行に持ち込んでも金とは交換できない。『金と交換できる』という裏付けのない価値を紙幣や硬貨に刻んでいるんだ。

 

ではなぜ“自国通貨には価値がある”と信じることが出来るのだろうか?国内に日本円が流通する意味は何なのだろう。それは自国通貨で税金を納めなければいけないからだ。

 

やや乱暴な言い方をするなら、自国通貨で税金を納めないと逮捕されてしまうから仕方なしに日本円を使っているのだと考えれば分かりやすいだろうか。あらゆる物やサービスが日本円を通して取引されて、労働者の給料まで日本円で支払われる理由は、日本円による納税の義務があるからに他ならない。

お金とは労働を促すツールだ

政府としては国を運営するために国民には物やサービスを生み出してもらわないと困る。これは中世でも現代でも、洋の東西を問わず、どんな国でも同じことが言える。

 

そこで「お金」という便利な道具が登場する。自国通貨には、納税義務により価値を持たせて、物やサービスの交換手段として使うことを促す。これによって多くの貨幣を手にしようと必死に仕事をして新たな価値を生み出そうとする人たちが現れて、娯楽や教養、医療やテクノロジーに至るまで、あらゆるサービスが発展して国が豊かになる。

 

税金を徴収する意味は、市場に出回った通貨量を調整する目的もあるし、先に説明したように自国通貨による納税を促すことでその国のお金に価値を持たせることが狙いだ。他にも酒税やたばこ税、炭素税のような“国民の行為を抑制”するために課している税金もある。目的は財源確保ではなく“行為に対する罰金”と捉えれば分かりやすいだろう。

 

以上の事実から、自国通貨の発行権を持つ国(EU加盟国は例外)が財源を目的に税金を回収することはないんだ。政府と日銀は統合政府であり、税金で足りない場合に必要な予算を作り出すことができる。この部分が増えることでクラウディングアウトになると騒ぐ学者や評論家もいるんだけど、その辺の説明は過去記事を読んで欲しい。

 

例に出した漫画で言えば、もし金貨ではなく”ティアムーン帝国紙幣”という自国の法定通貨(不換紙幣)が発行できるのであれば貧民街の支援を速やかに行うことが出来ているはずだ。その際に、失業した貧民を建設作業員として国が雇い入れることで、新たな雇用を創出できるだろう。貧民街の失業者という労働力は揃っているんだ。あとは建設に必要な資材や病院で使う薬品、食料をどうやって準備するのかという問題になる。作中の国では迫りくる飢饉への対処もしなければならないから、仮に中央銀行を設立して数字だけ増やせばいくらでも予算が生み出せるとしても労働者を養ってあげるだけの資源や食糧が乏しいという問題が出て来るかもしれない。このときになって初めて、財政出動とインフレリスクの問題が出て来るんだ。

 

ここまで話したらもうお金の意味は分かるだろうか?

「財源が税金じゃないのなら10京円財政出動して太平洋を埋め立ててみろ!」とか「俺に10京円紙幣発行しても問題ないってことなのか?」という子供みたいなわけのわからないことを未だに言う人がいるんだけど、インフレリスクを無視すればお金は数字を書くだけだから発行は出来る(絶対に議決を得られないだろう)けど、仮に資金を確保したとしても、太平洋を埋め立てるために必要な労働力と資源はどこから用意するというのだろうか?

 

この類の話でいくら説明しても「無限にお金を刷れば良いと考えている」という批判に至るのは最初に説明した「お金のプール論」から抜け出せていないからだ。お金の価値を支えるものが資源や労働力であることをまるで分かっていない。

 

ここまでの話をまとめると「税金は財源である」という考えが間違いだということが分かるだろう。自分の支払った税金で世の中が回っているというのも嘘。じゃあ何のために税金があるんだという堂々巡りは勘弁して欲しい。既に説明した通りだ。

 

これは過去にも言っていると思うんだけど、単純に人類の生存だけを目的とするのならば必要な労働は相当限られてくるはずだ。明日無くなったら困る仕事と言えば医療、農業、建設、運輸、交通、金融、衛生・治安維持等の公共サービスを行う公務員、食品を提供する民間企業、商店などだろうか。個人的な趣味や好みを度外視してしまえば、娯楽や雑学発信者が人類の生存に不可欠なものかと言われると疑問がある。そもそも娯楽とは豊かな国に暮らす人間がより生活を充実させるために存在しているに過ぎないからだ。

 

渦中のインフルエンサーは筆者も好きでよく勉強させてもらっているんだけど、いなくなったら明日から生活できないかと言われると別にそんなことはない。芸能人やスポーツ選手の類も同様だ。医療従事者や交通機関の運転士、建設作業員が明日一斉にいなくなってしまったら国内は混乱するし社会が維持できなくなるが、娯楽を提供しているような仕事が本当に必要なのだろうか。これは職業差別ではなく純粋な疑問に過ぎない。人類の生存に必要ない娯楽を提供する人が“生産性”を語っていることに疑問を覚えただけだ。もっとも「下々のために高額な納税をしてやってる」と述べている段階で税金の意味を取り違えているし、それを誰も指摘しないのだから救いようがない。

 

もう一度税金の意味を見直してみて欲しい。ほとんどの人が勝手に貨幣を掻き集めて勝手に通貨供給量の調節のために税金を吸い上げられているだけだ。極論を言えば“嫌ならたくさん稼がなければ良い”ということになる。それかリヒテンシュタインにでも移住すれば良いだろう。経済の仕組みを客観的に観察すればこういう話になってしまう。

 

過去に同じようなことは話しているのだが、あまりにも誤解が蔓延しているので改めて説明させてもらった。税金と労働の価値を冷静に見つめてみるとこんなものだ。恐らくエリート層が見下しているような職業の方が明日いなくなったら世の中が混乱するほど貴重な存在と言えるだろう。

 

しかしながら、将来的に存続の危ぶまれる職業は多数存在する。AIの発展により、既存の職業の4~5割が機械化されることは避けられないだろう。人類の生存に不可欠な労働から順番に代替されて行き、豊かさを手に入れた社会では今以上にクリエイティブな仕事が価値を持つ世の中になるかも知れない。勘違いして欲しくないのは、仮にそのような世界が現実のものとなったとしても税金の意味は変わらないということだ。

 

将来的にはUBI(ユニバーサルベーシックインカム)が導入されて、労働とお金の在り方も変わっていることだろう。

税金の役割(財源ではない)を知っている者としては某政治塾の掲げていた「無税国家」は絶対に不可能だと考えていたのだが、最近になって理論上可能であることも分かった。一言で説明すれば「クーポン通貨の電子版」を実現することで事実上の無税国家は作れるだろう。適当過ぎる例えだけど、詳しい説明はともかく、分かる人にはこれだけで想像がつくはずだ。いずれ詳細を記事にしたいと考えている。

 

ここまで読んだ人は少ないと思う。納得できた人はもっと少ないだろうけど、別に納得できないならしなくても良い。今まで通り「商品貨幣論」でも「お金のプール論」でも構わない。だけど、それによって被害者意識が芽生え、やがて他者に対する憎悪が膨れ上がって行くことも覚悟しなければならない。役所のクレーマーも寝ている議員(問題は国民の期待を裏切っていること)に腹を立てる人も、皆、彼らの給料が自分の税金だと考えている。民間企業や店の従業員の給料(客の払ったお金)と同じだと勘違いしているのだろう。思うのは自由だし勘違いしたままでも構わない。でも、これから先、多くの仕事がAIに取って代わられて人間がUBIで暮らす時代が実現したときには、嫌でも貨幣や税金、労働の意味と向き合うことになるだろう。その時が来たら今日の話を思い出してみて、違った視点からとらえる参考にしてもらえたら幸いだ。

 

長くなってしまったけど、次回も引き続きお金に関する話をしたいと思う。

興味のある人は是非読んで欲しい。