ヒカリの学習ノート

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「お金」が好きなら先ずは知ることからはじめよう!経済からお金の雑学、テクノロジーの動向まで、このブログを読めば一気に学ぶことができるよ。

お金は労働を促すツール? - モズラーの名刺モデルから読み解く貨幣の役割

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今日のテーマは「貨幣の役割」だ。簡単なようで難しいテーマでもあるので、分かりやすく説明するためにも「モズラーの名刺モデル」を使わせてもらうことにする。その中では多くの人が誤解している税金の意味についても説明するつもりだ。

 

いつもみたいな経済の話というよりは“お金の雑学”に近いものなので、気楽に読んでもらえたらと思う。

 

早速本題に入るんだけど、みんなは“お金”とは何なのか真剣に考えたことはあるだろうか。「通貨」の概念は、今から4000年以上前、古代メソポタミアで既に存在していたと言われている。国境を超え、形を変えながらも、人類共通の価値として存在するお金の力は遺伝子にまで深く刻み込まれているのか、私たちは物心ついた頃からお金の価値を知り、それを欲してきた。

 

思い出してみて欲しい、子供の頃、親からお小遣いをもらったときのこと、お年玉が楽しみだったこと、ときにはより多く手にするために家の手伝いをして稼いだ人もいるかも知れない。欲しいものがあるからとか、友達と遊びに行きたいからとか、お金を求める理由は様々だったと思う。

 

では、結局“お金”とは何なのだろうか。筆者は幼い頃、それが不思議でならなかったんだ。取り敢えず『何とでも交換できるチケット』として認識していたんだけど、何故この紙切れや銅やニッケルを主成分にした硬貨と自分の欲しいものを交換してくれるのか、世の中を動かす上でお金とはどういう役割を担っているのか、ひたすら不思議でならなかったんだ。親や教師など周囲の大人に聞いてみても、生憎と納得できるような答えが返って来ることはなかった。

 

その後、NHKの子供向けの経済番組で「無料で物を配ってしまうと、本当に必要な人の手元に届かなくなってしまうから、お金が必要なんだよ」と説明していたのだけど、それでも筆者は納得できなかった。

 

番組の中では、アニメを使って「お金の存在しない世界」を見せてくれた。以下のようなお話だった。

 

“ある国では無料で物資を配っていた。タダだから早い者勝ちになるし、欲しくなくても取り敢えずもらっておく人たちが続出している。あとから本当に欲しい、飢えで苦しんでいる人がやってきたのだが、そのときにはもう配り終えていたので、空腹や喉の渇きを訴える本当に必要な人に限って飲食物を手に入れることができなかった。”

 

そんな後味の悪い話だったんだけど、ようするに食料が現物支給化された世界ってことだろう。このシステムは物資を受け取りに行ける健康な人には良いけど、足腰の弱い老人や障害のある人に対してはフェアではない。「お金」のない世界ではサービスを提供する人材の確保も難しいから、代わりに取りに行ってもらうにもボランティアに任せることになる。そもそも資源には限りがあるので、無償で配るのは得策ではない。こうして「お金」という交換手段、共通の価値基準が生まれて来るのだと解釈することができるだろうか。

 

ここで「お金」の捉え方を変えてみると、現物支給のシステムでも資本家のような人間が現れて貧富の差が生じる可能性があることに気付くだろうか。例えば、余った物資を欲しがっている人に条件と引き換えに手渡したらどうなるだろう。その世界に契約という概念が存在するのかは置いておくとして、早いもの勝ちで手にした物資はやがては人を動かす動力に使えないだろうか。保存の効く物資を大量にかき集めておいて、その後は有り余る物資を報酬にして他人を使って新たに別な物資を集めさせることができる。そうすれば、半永久的に自分は一切労力を使わずに物を集めることができるだろう。

 

あくまでも現物支給の世界でならどうするかという話なのだけど、必ずズルをする人が出て来ると思うんだよ。結果として貧富の差も広がるだろうし、上手く立ち回った人間だけが得をする世界になる。物資を上手く入手できない要領の悪い人を利用して、今度は自分たちで生産活動をするかも知れない。「お金という」ツールが「現物」に形を変えても本質は何も変わらないということだ。

 

結局「お金の存在しない世界」でも資本家と労働者という立場の違いが生じることになってしまうんだ。やがて富と権力を手にした者たちは「価値の保存」を望むようになるだろう。飲食物が通貨の代わりではあまりにも不便だからだ。そうして、人類は再び“通貨”を手にすることになる。人間が存在する以上は避けられない流れであることは、歴史が証明している。

 

次に、ある金融専門家が子供たちにお金の講義をした動画があったので見てみたんだけど、果たしてあの説明で子供たちは納得できたのだろうかと不思議だった。

専門家の説明を簡単にまとめると「お金とは人の役に立ったときに得られる対価なんだ」ということ。つまり「日常の不便なことを解消してあげて、その見返りに手に出来るのがお金だ。だからみんなも人の役に立つ人間になろう」みたいにまとめていたんだ。

間違ってはいない。某ECサイトの経営者はまさにそれを実戦して世界トップの富豪にまで成り上がったのだ。しかし、お金とは何かを語る上で、そこまで大それた実例を出す必要はないし、そもそもお金の本質から話がズレている。単純にお金を手に入れることが目的なのであれば、必ずしも人の役に立つ必要はない。反社会的組織が富裕であることを思い出してみれば分かるだろう。

 

では、やはりお金とは“人を動かす方便”でしかないのだろうか?

だとしたら筆者が子供時代に辿り着いた答えで正解なのかも知れない。

 

この悩みに応えてくれたのが、経済学者のウォーレン・モズラー氏だった。

 

以下で説明する「モズラーの名刺モデル」は、子供でも理解できる程度の内容なんだけど、通貨と財政システムを把握する上でとても重要なモデルケースと言える。

MMT提唱者が用いる理論ではあるのだけど、派閥を問わず「お金の正体」を知りたい人にとっては有用な話なんだ。

 

今回は「モズラーの名刺モデル」を使って資本主義社会の仕組みや「お金」と「税金」の意味を分かりやすく説明することが目的なので、お話の中には筆者が付け加えた要素が多分に含まれていることを了承してもらいたい。

 

では、早速だけど、簡単に説明しよう。

 

ある大豪邸に住む家族がいた(トラップ一家でも何でも良い、適当に想像して欲しい)。あるとき、父親であるモズラーは、子供たちに家の手伝いをやらせたいと思ったんだ。そこで彼は、呼び集めた子供たちに「家事をやってくれた子にはお父さんの名刺をあげよう」と言った。でも、子供たちは父親の名刺なんて欲しくない。忽ち不満を漏らして拒否されてしまった。そこで、遂に(ブチキレたのか!?)お父さんは宣言したんだ。

 

「この家に住み続けたければ毎月○○枚の名刺をお父さんに納めなさい。さもなければ出て行ってもらうぞ!」

 

追い出されたんじゃ敵わない。慌てた子供たちはせっせと家のお手伝いをしてモズラー父さんの名刺を稼ぐため家事に専念するようになったんだ。

 

さて、ここまでが「モズラーの名刺モデル」の説明になるんだけど、もう気が付いたよね。最初はただの紙切れに過ぎなかった「モズラーの名刺」が、家主である父親の宣言によって価値あるものに変わったんだ。

 

その後、子供たちはみんな、しばらくの間は真面目に働いていたと思うよ。庭の手入れやトイレ掃除、洗濯、あらゆるお手伝いをして毎月定められた枚数の名刺をモズラー父さんに納めていた筈だ。でもね、兄弟姉妹の中でも賢い子は少しやり方を変えてくるかも知れないんだ。

 

例えば、他の兄弟姉妹よりも一生懸命働いて名刺を多く集めた末っ子がいたとしよう。ある日、ズボラな兄さんが末っ子にすがりついてきた。

 

「なぁ、お前、お父さんの名刺たくさん持ってるだろ?来月納める分が2枚だけ足りないんだ、貸してくれよ」

 

末っ子は最初こそ嫌な顔をしたのだけど、すぐに兄の頼みを聞いてあげることにしたんだ。もちろん、タダのはずがない。

 

「良いよ、その代わり兄さん、来月になったら2倍にして返してよね」

 

約束通り、兄は借りた名刺の2倍(4枚)の名刺を末っ子に返した。その様子を見ていた他の兄弟も、月末に納める名刺が足りなくなると、末っ子から借りるようになった。返済が遅れれば、その分利息が付くから大変だ。次第に末っ子の手元には数年分の家賃に匹敵する名刺が集まってくる。こうなるともう、家の手伝いはせずに兄や姉から取り立てた利息だけで家に住み続けることができるようになる。やがて、自分の暮らしをより快適にしたいと考えた末っ子は、自室の掃除や身の回りの世話を他の兄弟にさせるようになった。報酬は、仕事の内容に応じて変動する。例えば、部屋の掃除は3枚、宿題を代わりにやってもらったら10枚というような感じだ。

 

どうだろうか。ここまで話したらもう、世の中のお金の仕組みが見えてきたと思う。そうだ、ここで言うモズラー父さんの名刺は私たちの世界で言うところの“お金”だよね。ただの紙切れに過ぎないんだけど、モズラーの豪邸に住み続けるためには必要なものなのだから、どんなことをしてでも手に入れる必要がある。例え弟に顎で使われようとも、報酬が通常のお手伝いよりも高いのであれば我慢して働くだろう。上司に頭が上がらない社会の縮図が見えて来るね。逆に、お金のある人は他人に気遣うことなく自由に生きることができる。

 

お金 = 自由 と結論付けても間違いではないだろう。いや、むしろ真実と言えるだろうか。

 

このモデルケースから分かる通り、資本家と労働者の関係は意図も簡単に形成されてしまう。この場合、貸した名刺の利息で稼ぐ方法に気付いた賢い末っ子が、有り余る“資産”を築き上げ、結果的に屋敷の中で働かなくても生きていける富裕層になり上がってしまったんだ。

 

一応付け足しておくけど、モズラー父さんは定められた枚数の「名刺を納める」ことは要求したけど「働きなさい」とは言っていないからね。

 

先のケースは、私たちが生きる資本主義社会に当てはまることに気付いただろうか。

具体的に説明すると、モズラー父さんが名刺(お金)の発行権を持った政府・日銀で、毎月納める名刺が「税金」だ。

最初は政府(= 父)から受注した仕事をこなして稼いでいたのだけど、いつしか保有する名刺の量に差が生じてしまった。そこで、末っ子が余った名刺で仕事を振る資本家の立場となった。

現実世界に置き換えると、末っ子は利息で荒稼ぎした高利貸しといったところだろう。何もせずとも稼げるので働く必要がない。更に貯蓄需要によって、納税に追われる人々に仕事を割り振ることで経済資源(労働力)を手にしてより豊かに生活することができるようになったという話だ。

 

よく、お金は価値を提供した対価だとか人を喜ばせたことに対する報酬だと言う人がいるんだけど、兄を顎で使っているだけで身の回りの世話までさせられる高利貸しの弟は何か人を喜ばせているだろうか?価値を提供しているだろうか?

 

これが資本主義社会の真実だ。

 

尚、モズラー家での貨幣(名刺)感は「国定信用貨幣論」といえるだろう。なぜなら政府・日銀に当たる家主が好きなだけ名刺を発行できるからだ。これを否定するのであれば、モズラー父さんは子供たちから名刺を納めてもらわないと来月配る名刺が足りなくて財政出動できなくなってしまうという話になる。名刺を好きなだけ発行できるのに子供たちから集めなければ来月の財政出動ができないなんてことにはならないことぐらいは分かるだろう。

 

税金として名刺を納めさせているのは、あくまでも子供たちに家の仕事をさせるための強硬手段に過ぎないんだ。つまり、父のモズラーが名刺に価値を持たせる(国定信用貨幣)が目的なのであって、子供たちが名刺に価値があると信じている(商品貨幣論)から欲しがっているわけではない。この家に住み続けるためには納税しないと追い出されてしまうから仕方なく名刺(お金)をもらうために働いているだけなのだし、悪徳弟のような富裕層は名刺(カネ)の力で兄たちをコキつかっても一向に構わないんだ。なぜって、父親がそれを禁止していないからだ。

 

歴史上、人類が“通貨”というシステムを手放したことは一度もない。何故なら、国という集合体としては人々に労働を促して生産活動とサービスの提供に従事して欲しいからだ。例え資本家(この場合は弟)が楽をしていたとしても、労働者(兄や姉)に仕事を割り振り、労働を促す役割を果たしてくれているのであれば咎める必要はない。

 

一見ろくでもない話に思えるかも知れないけど、利益追求を促すことで競争が生じ、物とサービスの質が向上して我々の生活がより豊かになっていることは、言うまでもないだろう。結果として、社会全体が豊かになって行くのだから一概に悪いシステムとも言い難い。モズラーのお屋敷の子供たちの中でも競争が生じるだろう。末っ子を見習って需要に応じた質の高いサービスを提供することで富裕層に成り上がる子も出て来るかもしれない。

 

少し長くなってしまったけど、今回の話でお金が労働を促すためのツールであること、通貨発行権を持つ国にとっては税金が財源ではないこと、更には資本主義社会の仕組みについても「モズラーの名刺モデル」を通して確認することが出来たと思う。

 

税金や貨幣感を巡る問題は様々な要素が絡み合う複雑な問題だ。輪郭を掴むことすら非常に困難だ。そのため、わたしたちは子供の頃から大人たちから教え込まれてきた「商品貨幣論」を基本として生きて来た。誰ひとりとし本質を知ろうとしない。ならば、対象をコンパクトにまとめて理解するのが手っ取り早いだろう。今回筆者がモズラー家という屋敷を国に見立てて説明したのにはそんな狙いがあったからなんだ。

 

今日話に出した貨幣論についてはもう少し踏み込んで説明したいと思う。過去にも似たような記事は出しているんだけど、今後も繰り返し説明するつもりだ。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

それでは、また次回の記事で。