ヒカリの学習ノート

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「お金」が好きなら先ずは知ることからはじめよう!経済からお金の雑学、テクノロジーの動向まで、このブログを読めば一気に学ぶことができるよ。

少子高齢化時代の医療と財源 社会保障は崩壊するのか

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機能別社会保障給付費の推移

※出典 国立社会保障・人口問題研究所「令和元年度版 社会保障費用統計」

 

今日はタイトルにもある通り、少子高齢化時代の医療と財源に関する話をしていこうと思う。この問題はテレビやネット上でも度々話題に上がっているから有名だろう。年金や健康保険(広義の医療政策)を取り巻く諸問題は、常に少子高齢化を念頭に議論されてきた。

 

これ以上高齢化が進むと若い世代が年金をもらえなくなってしまう!

高齢者のせいで医療費が嵩んで財政破綻を引き起こしてしまう!

社会保障費の増大で日本経済が崩壊する!

 

こうした問題提起の後はいつものように財源確保のために増税しよう。或いは、高齢者の負担を増やして痛み分けしようという話になる。破綻論が前提にある限りはこれ以上の解決策は出て来ないし、議論も平行線になってしまうだろう。

 

この問題を話し合うときに「財源の問題ではない」ことを認識していないと話が進まない。自国通貨建て国債を発行する国にとって「お金」の問題はあってないようなものだ。そうではなくて、その自国通貨の価値を支える生産人口(供給力)の減少、潜在GDP(本来の供給能力)が総需要(名目GDP)を支えるに足るものなのかという本質的な問題を問うていかなければならない。『高齢者が憎いから負担を強いれば良い』で解決できるほど簡単な問題ではない。

 

しばしば国民皆保険制度を敵視する新自由主義的な思想の人もいるのだけど、生産人口の減少が課題である今、国を支える労働者の健康維持が必須であることは言うまでもないだろう。なんでもかんでも金の問題に置き換えて医療政策をないがしろにするべきではない。

 

ここで一度、日本の医療保険制度の歴史を振り返り、保険料率の推移を確認しておこう。

 

我が国の国民皆保険制度は1958年の「国民健康保険法の全部改正法」を機に誕生した。実現には、戦後の著しい経済成長が影響している(労働人口に恵まれていたことが大きい)。これによって各自治体は1961年4月までに国民健康保険事業を開始することとなり、73年までの間に段階的に整備していったんだ。この当時でも国民医療費は19%に増加していたため、保険料率の増額など対応に追われることとなるが、国庫負担で賄えるだけの余力が十分にあったと言われている。その背景にあるものは高齢化率が6%に満たなかったことや労働人口の増加、高度経済成長による好景気、病床数の増加(61~73年で1.6倍)に対応できるだけの医療従事者を確保(同年に1.6倍増加)できたことが大きい。

 

このように、国民皆保険制度を巡る問題でも医療需要、特に高齢者を支えるに足る十分な人材確保と財源の問題が長らく議論されてきた。現在もこの問題は解消されておらず、国民皆保険制度を維持する上で直面した難題と捉えられている。

 

繰り返しになるが、こうなってくると如何にして財源をかき集めて医療保険や年金等の社会保障の増大に対処していくのか頭を抱えることになる。メディアの解説者や政治家の話を鵜呑みにしている人たちは、人口対策を別とすれば不足しているものが財源、即ち「お金」であると認識してしまう傾向にある。

 

「何を当たり前のことを言ってるんだ?」と思った人こそがこの記事の想定読者だ。そういう人には是非耳を傾けて欲しい話題だ。逆に「未だに財源の問題だと思っているのか?」と突っ込みたくてうずうずしているような人たちには、恐らく筆者の伝えたいことは既に理解していると思うので、敢えてこの記事に目を通す必要はないのかも知れない。

 

前置きが長くなってしまった。結論を先に言ってしまうと、今日、私たちが直面している少子高齢化問題を解決する方法は他にある。何度も言うが財源、お金の問題ではない。

 

一体どういうことか、じっくり考えれば答えは自ずと見えて来るはずだ。

 

まずは以下の資料を見て欲しい。

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社会保障給付費の推移

ご覧の通り、年金や医療費等の社会保障費は、ちょうど国民皆保険制度が成熟し始めた70年代以降増加傾向にあることが見て取れるだろう。役人や政治家もこの資料を提示した上で危機感を煽っている。

 

そうした事情もあるため、私たちは何かを補うために何かを捨てようと考えてしまうわけだ。背景にある思想は商品貨幣論であり、学校教育を経て社会人となっても変わらない、我々の思考を停滞させる、奥深くにまで根付いた価値観と言える。例えば、戦争や自然災害により“資源と人材の大半を失った荒廃した世界”であっても如何に税金を捻出するのかを気にしているような人に筆者は遭遇したことがある。さすがにこの人は極端だけど、彼はきっと、戦後の焼け野原でも「お金」さえあれば何でも解決できると信じているのだろう。無論、自国通貨建て国債であれば財源は確保できるが、供給能力が著しく棄損した敗戦国の通貨に平時と同等の価値は残されておらず、国内でもハイパーインフレを引き起こしているため財政出動で対応できる段階を既に超えている。供給力の損なわれた状態にある少子高齢化社会でも同様だ。財源が万能ではないことを念頭に置くべきだろう。

 

それでは解決策が見つからないじゃないかと思うかも知れないが、高齢化社会の受給バランスを維持するのに必要な供給能力がどの程度なのか、労働人口一人当たりで何人の高齢者を支えれば良いのかまで突きつめて議論したことがあるだろうか。

 

これから順を追って具体的な数字と共に説明していく。

 

我が国の税収は約60兆円だ。これはGDPの10%にあたる。そして、必要な国家予算は凡そ100兆円。ざっと40兆円が不足することになるわけだけど、ここは国債の発行で賄われることになる。俗に言う「国の借金」というやつだけど、自国通貨建て国債を政府子会社の日銀に預けているだけなのに誰から借りているんだとか、既に公共事業で政府の日銀当座預金から民間銀行の当座預金に移っているとかMMTの話になりそうだけど、それは筆者の別の記事で確認してみて欲しい。一言で理解したいのなら単なる「通貨発行の記録」と捉えれば足りるだろう。物価の上昇と共にマネ―ストック(世の中に供給されるお金)が増えるのは自然なことだからね。

 

いずれにせよ、不足分は補うことができるので、財源が足りなくて困っているということではないんだ。こう言ってしまうと、では税金を取らずに無限に国債を乱発すれば良いじゃないかという話になるんだけど、それには財政法の問題もあるし、税金の役割(通貨の流通量やインフレ率の調整など)があるため、現状のシステムでは実現できない。この辺の話はまた別の機会にしよう。そもそも「国債を乱発すれば良い」という考えに至る時点でお金を物だと考えている証拠だ。王族や貴族が金貨を掻き集めていた中世とは違うんだよ。

 

話を戻そう。財源の問題でないとすれば、何が足りないのだろうか?

お金の問題ではないけど、不足しているものが別にあるんだ。よく考えてみて欲しい。

 

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部門別社会保障給付費の推移

※出典 国立社会保障・人口問題研究所「令和元年度版 社会保障費用統計」

 

答えは少子高齢化に伴って増大した需要を支えるための「供給力」だ。

確かに昭和時代と比較して年金や医療、その他社会保障費は膨れ上がっている。これについては現行憲法に切り替わって以降の大幅な行政改革や法整備の影響が大きいのだろう。年金や国民皆保険制度に見られるような手厚い補償は戦前にはなかったのだから当たり前だし、冒頭で説明したように国民皆保険制度の成熟期には日本は経済成長の真っただ中にいた。十分な医療人材の確保もできていた。景気も人口も減退した現在とは真逆だ。

 

社会構造を司る行政システムの改善や法整備が進む中で、人々の価値観が変わり、少子化も進み、公衆衛生の改善による長寿化で国民の暮らしも様変わりした。もちろん人口減少は憂えるべきだし、改善して行かなければいけない課題なんだけど、その一方で増加している需要については、対処を誤らなければ経済成長のチャンスにもなり得るんだ。

 

需要が供給を生み出すことで経済成長へと繋がって行く、本来ならば歓迎するべきことなんだけど、財源の不足が崩壊をもたらすという認識によって、誤った対処を施す事態に陥っている。いきつく先は何かを得るために何かを削らなければならないという誤認識だ。

 

これが何を意味しているのか、災害対策に必要な防波堤や治水工事のような国土強靭化に不可欠な需要まで削らなければいけなくなってしまうんだ。事実、公共事業の削減は「将来世代にツケを回さないため」の政策として打ち出されている。

 

ここまで財源は問題ではないという話をしてきて、MMTの記事も読んでいて、それでも尚「なら年金を無くせ」という人がいるのなら、もう考えるのを止めて緊縮財政派を貫くのも良いと思う。

 

一方、少子高齢化の中で増加した需要に対処する方法が財源確保ではないことが分かった人は、ここから具体的にどのような対策を講じれば良いのかを考えていこう。

 

供給力を支える人口が減少していることを鑑みれば、自ずと技術革新が不可欠であることが見えてくるはずだ。そのために必要なものはなんだろうか? そう、投資だ。

 

ここで、どの程度の供給力が必要になるのか。国が投資をするにしても、必要な生産力を想定しなければ難しいと思う。

 

これについては目途となる数字を示すことができる。

 

消費者を構成する要素は現役世代と高齢者だ。

そこで、現役世代の実質消費を100、高齢者を80とおくとしよう。

※高齢者の消費が現役世代の8割程度であることが家計調査によって分かっている

 

このまま高齢化が進めば、2040年には現役世代1.5人が高齢者1人を支えることになる。これを基にして実質消費の割合を算出すると、

 

1.5×100+1×80=230

 

つまり230の需要を現役世代1.5人で賄わなければならないということだ。

この場合、1人当たりに求められる生産量は、

 

230/1.5=153(現役世代1人当たりの実質生産)

 

と割り出すことができる。

尚、1990年には5.8人の現役世代が1人の高齢者を支えていた。当時の実質生産量を計算してみよう。

 

5.8×100+1*80=660

660/5.8=113(現役世代1人当たりの実質生産)

 

つまり、2040年までに1人当たり1.35倍の生産性を確保する必要があるということだ。

今、少子高齢化で財政が破たんすると騒いでいるが、要はこの1.35倍というインフレギャップをどうやって埋めていけば良いのかを考えなければならないのであって「お金」の問題ではないことが分かるだろう。

 

具体的な数字で目標値は分かったが、達成が難しいのかどうかイマイチ判断ができないという人のために付け加えると、少子高齢化問題が騒がれはじめた1990年代から2040年までには50年もの猶予があった。求められる生産性の向上は各年度に僅か0.7%ずつだったことになる。この数字が達成困難であるなら資本主義を諦めた方が良いだろう。

 

現在は2021年だ、2040年までの19年間で1.35倍の生産性を確保するのであれば、1年間で向上させるべき生産性が計算できるだろう。その数字は1.8%だ。通常は2~3%のペースで生産性が向上するので、この数字が達成不可能なものではないことが分かるはずだ。

 

もちろん、1990年代から2021年までに技術革新で生産性は向上されているだろうから、この数字がそのまま当てはまるわけではない。仮に今から取り戻すとしてもそこまで大きな数字ではないという意味で示してみた。

 

我々が今何をするべきなのか、ここまで説明すればもう緊縮財政ではないことぐらいは分かると思う。

 

積極的な技術投資で増大する需要を支えて行き、経済成長へと繋げていくんだ。私たちがやるべきことは緊縮財政でも金融緩和でも高齢者を減らすことでもない。積極財政によって国民経済の向上を図ることだ。

 

社会保障について議論が交わされる時には必ずと言って良いほど「お金」の問題と解されて、どこから削るか、誰を犠牲にするかで揉めることになるんだけど、ここまで話を聞けばもうその必要がないことぐらいは理解できるだろう。今は生産性の向上のために如何に人的資源を確保するべきかを念頭に算出してきたが、将来、テクノロジーの進化によってその問題は解決されるだろう。いや、むしろAIに代替され、あらゆるサービスが自動化された未来で余った労働人口をどのように養うのかが問題になってくる。それまでにベーシックインカムを整備しておかなければならないだろう。

 

今懸念するべきことは減少する生産人口で如何にして供給力を維持していくのかということだ。生産年齢人口の減少はお金では解決できない。

 

今日は少子高齢化と社会保障問題の解決策について説明してきた。特に難しい話はどこにもなかったと思うよ。良く分からないと言う人は各自で調べるなりしてみて欲しい。

 

それでは、また次回の記事で。