ヒカリの学習ノート

ヒカリの学習ノート

「お金」が好きなら先ずは知ることからはじめよう!経済からお金の雑学、テクノロジーの動向まで、このブログを読めば一気に学ぶことができるよ。

2割の努力で天才に勝て AI時代の生き残り方

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私たちの能力、いわゆる「才能」と呼ばれるものは遺伝によって生まれながらに決定さているため、後天的に獲得することは不可能に近い。最近になってようやくDNAと才能の関係性が注目されるようになってきたが、かつての学校教育では努力を美徳とする傍迷惑な教えが横行していた。後就職氷河期を迎え、現実を突き付けられることではじめて“努力に無駄な時間を費やしてしまった”ことを後悔した者も少なくないだろう。

 

なぜお金のブログでこんなテーマを持ち出したのかといえば、才能と努力は仕事とお金に直結する要素だからだ。凡人が現実的に掲げられる目標は『一生飢えることなく最低限の努力で“人生逃げ切る”』ことだと筆者は考えている。資本主義社会で生き抜くスキルこそが凡人に求められる武器なのだ。もちろん、お金を語る者としての最終目標はあくまでも富裕層になることだが、それを叶えるためにも先ずは己の限界を知り、来るべきAI時代に備えておく必要がある。

 

ネット上では努力否定派と肯定派に分かれ、各自の持論をもとにした激論が交わされているが、いずれもお粗末な上に答えと言えるものには辿り着いていない。多くが努力を頭ごなしに否定するか、ひたすら努力の重要性を説くという2パターンだ。これでは議論が平行線になるのも仕方がない。

 

ここでは才能と遺伝の関連性を理解した上で、凡人が天才よりも楽して生きるために最低限必要な努力について語って行く。

 

 

あらゆる能力の8割は遺伝で決まる

 

先ずは大前提として、遺伝的に才能の無い分野を後天的に獲得することは困難だということを理解しておこう。「不可能」ではなく「困難」と表現したのには理由がある。具体例を出すとIQが7割近く、数学力、記憶力、身体能力(スポーツなど)が8割、音楽の才能に至っては9割が遺伝によって決まると言われている。これ以外の分野の才能も例外ではない。生まれながら遺伝によって定められている。例えば、筆者は早く本を読めるようになりたくて速読術の本を読みあさった時期があった。左脳速読やスキミング、フォトリーディングといった手法を学んで試してみたのだけどまるで効果がなかった。その後、知識量が読書スピードを左右することを知ったのだが、それでカバーできるのはせいぜい2割程度で、速読の能力さえも7~8割方が遺伝で決まることを知って愕然とした。


人間の才能を凌駕するAIの性能

 

結局、何をやっても無駄という話なのかと何もかも放りだしたくなるかも知れないけど、これで話は終わりじゃないよ。凡人には凡人の戦い方がある。読書スピードも、先に紹介した通り7~8割が遺伝で決まると言われているんだけど、ここで何か気付かないだろうか。IQのような生涯を通して不動な数値でさえ遺伝で決まるのは多くても7割だ。100%が遺伝で決まるとは言われていない。努力で補えないのは多くても8割と見ておこう。逆を言えば8割を切り捨ててしまえば2割を努力でカバーできることになる。

 

たったの2割かと思った人は、今一度、時代の変化に目を向けてみてほしい。後々別の記事で取り上げるつもりだけど、AIに人間の仕事が代替される未来はすぐそこまで来ているんだ。当たり前になっていて気付かないかもしれないけど、かつて人間がこなしてきた仕事の多くは自動化されている。今はまだテクノロジーが人間の仕事をサポートする役割に留まっているけど、人間の能力を超える高性能なAIが実現すれば、殆どの仕事が我々人間の手を離れて行くことだろう。そうなったときに、今“才能”と呼ばれているものでどこまで戦えるのだろうか。既にAIに新聞記事や小説を書かせることだって実現しているんだ。早い段階で記者やライターの仕事は人の手を離れるだろう。そしていずれは作家業もAIの主戦場となるかも知れない。同様に作詞・作曲、絵、写真加工でさえもAIに代替可能だ。中国ではアナウンサーのAIが存在するという話は有名だろう。SF的な話だと「ゲキドル」というアニメに登場したアクトロイドが実現して、いずれ役者の仕事までAIに代替されるのかは分からないけど、プログラミングや事務仕事のような頭脳労働が一番最初に自動化される可能性が高いことは確かだ。その次がサービス業だろう。Amazonが開発した無人コンビニにより人間が接客する必要がないことが証明された。倉庫内作業や配送業もいずれは完全自動化して行くことだろう。こうなってくると、コンピューターに取って代わられることのない仕事や能力は限られてくる。プロ棋士やスポーツ選手といったタレント性のある職種は才能と個性で食いつなげられるかも知れないけど、それ以外の仕事はどうなるんだろうね。これもまたSFチックな話になってしまうが、いずれは脳にチップを埋め込むことで暗記学習が不要になる可能性もある。今のテクノロジーで既にマインドライティングは実現している。これは、頭蓋骨にセンサーの役割をする細い電極を接続することで心に思い浮かべた内容を文章としてアウトプットする技術だ。IoTを更に進化させたIoB(物と身体を繋げる)が一般化する未来も訪れるだろう。私的には、いずれ映像もアウトプットできるのではないかと考えている。尚、イオーロン・マスク氏は既に「Brain Machine Interface」という脳に接続するデバイス(いわゆる脳に埋め込むチップ)を研究しており、動物実験の段階にまで辿り着いている。いつの日か知識をインプットする時代が実現した暁には、語学や歴史などの暗記系科目はインストールに頼り、獲得した情報を応用するスキルが問われるようになるだろう。しかしながら脳の構造は複雑であり、依然として完全な解明には至っていたい。さすがに脳にチップを埋め込んで生活するのは遠い未来の話だとしても10~20年のスパンでAI時代を捉えたとき、テクノロジーで人の能力を拡張していくことになることは確かだ。それは、計算機の登場でそろばんの有段者が手形交換所での仕事を失ったのと同じようなことだ。今は識者が近くにいなくてもスマホ等のデバイスを使って知識の不足を補うことができる。スポーツのような一部の才能を除けば人間の能力にさほどの差は生じないのかも知れない。

 

努力は2割に留めて8割はテクノロジーに頼れ

 

人間が何もしなくても良い世界には、今の時点ではまだ辿り着いていない。テクノロジーに依存するにしても、最小限の努力は求められる。具体的に言えば、中級以下のプログラマーが不要になるからプログラミングの勉強が不要になるというわけではないよ。むしろノーコードツールの普及に備えてITスキルは身に付けておかなければならない。時代の変化に取り残されることは資本主義社会では死を意味する。これは天才も凡人も同じだ。大昔に日本人の教養と位置付けられていた漢詩や古文の才能が今の実社会で金銭を生み出すスキルと言えるだろうか?予備校講師として名を上げたり研究者になれたりすれば良いが、才能に加えて運の要素にも左右される。そして、近年では変化が益々激しくなっている。一昔前までは英語、IT、会計が三種の神器と言われていたが、今ではこのうち会計が抜け落ちようとしている。このような時代の流れに付いて行く柔軟さが大切になる。

 

結論は簡単だ。タイトルに上げた通り、凡人は2割の努力を惜しまないことだ。たった一つの分野に精通した天才よりも、100の分野を広く浅く知る凡人の方が知識も豊富であり、あらゆる事態に対処する判断材料を持っている。現代では足りない部分はテクノロジーで補完することができる。例えば筆者は重度の方向音痴で地図を読むのが苦手だが、スマホのナビを使うことで見知らぬ土地でも難なく目的地に到着することができる。この時点で、地図を読む才能があまり意味を成さないことが分かる。完璧を目指さず広い教養を持つことを意識すれば良いだけなのに、何故か天才と比較して努力を否定しようとする。将棋をする人はみんな羽生善治を目指しているのだろうか?野球をする人がみんなイチローである必要があるのか、乗馬を嗜む人が武豊にならなければいけないのか...。そんなわけあるかと笑ってしまうかも知れないけど、才能と努力を巡る議論では同じようなことを主張する人がいるんだよ。何事に於いても天才と並び立とうとする。そして才能がないという理由で努力を否定するんだ。何度も言うが遺伝で決まるのは8割だ。逆を言えば2割は後天的に習得することができる。ならば、やらない理由はないだろう。将棋もスポーツも乗馬も、もちろん音楽だって、人生を豊かにし、他者とコミュニケーションを図るためのツールとして嗜めばよい。極めようとしなければ良いだけの話だ、

 

一つの分野に費やす時間は20時間を目途にする

 

具体的なアドバイスをしよう。ここまで聞いても何をどう努力すれば良いのか分からないという人には、1つの分野に20時間費やすことをお勧めする。これは、その道のプロには及ばないが、アマチュアとしては十分実用可能なスキルを身に付けられる学習時間だ。

 

繰り返しになるけど才能の80%は生まれながらに決まっている。だから100%を目指す努力は無駄になる。だけど、残り20%は後天的に習得することは可能だ。そのために必要な時間が20時間だ。未知の分野で2割を習得することを目指すのであれば、この努力は決して無駄ではない。具体的な方法については、以下の本が参考になるだろう。

 

hb.afl.rakuten.co.jp

 

圧倒的知識量で生き残れ

 

8割の努力で広く浅く、質で勝てないのなら量で勝負するのが凡人の戦い方だ。

なんだそんな結論かと思うかもしれないけど、一つの分野に固執し、人生を懸けるような誤った努力に突き進みそうになった経験はないだろうか。世の中には英語を習得するためだけに何十年も勉強し続けたという人もいる。毎日、寝る時間以外はずっと英語だけ勉強するような生活だ。こういう人は他のスキルが疎かになるので、絶望的なまでにITに疎かったりする。時代の変化について行けなくなるんだ。最近では否定されているけど、一時期は語学学習者の間で「1万時間の法則」が有名だった。これを盲信して時間をドブに捨てた人も少なくない。8割の才能が遺伝で決まるのに1万時間努力したところで2割をカバーする以上の成果は期待できない。それならば、1分野を習得するのに最低限必要な20時間の努力に留めて、残りの時間は他のスキルの習得に回すのが賢いやり方だろう。英語学習者みんなが通訳者や翻訳家になるわけではないのだし、数学を勉強する人がみんな数学者になるわけではない。外国人とコミュニケーションが取れること、受験に受かることが目標なのであれば、特別な才能など無関係だ。それに、先の職業もAIへの代替可能性が示唆されている。短期間で莫大な利益が上げられるのでもなければ、人生の中の限られた時間を費やしてまで習得するほどのスキルではないだろう。

 

2割の努力と8割の天才任せ

 

心配しなくても資本主義社会では自ずと競争が生じて誰かがそこに身を投じてくれる。その中でごく一部の天才たちが勝手に競い合って勝手に発展させてくれるのだ。凡人はその成果に便乗すれば良い。今流行りのインフルエンサーやネットビジネスの成功者は他人の作ったプラットフォームに依存することで巨額の富を得ている。彼らは無から何かを作り出すことはできないが、他人の作り出したシステムに乗っかることで利益を上げているのだ。プラットフォームを駆使してノーベル賞の賞金額を僅かひと月で稼いでしまう者など珍しくない。少ない稼ぎの天才と、僅かな努力で稼ぐ賢い凡人。果たして資本主義社会に於ける勝ち組はどちらだろうか。

 

これに異を唱える人は、我々の日常生活が他人の才能にあやかることで成り立っていることに気付いているだろうか。ビル・ゲイツにはなれなくてもWindowsパソコンやOfficeソフトのスキルを生かして働くことはできる。スティーブ・ジョブズにはなれなくても、アプリ制作で稼いでいる人は存在する。そしてこれからの時代はノーコードの普及により国民総プログラマー化が予想される。無から生み出す天才でなくても、ほんの少しのアイディアとテクノロジーを駆使することで逆転を図ることができる時代は、すぐそこまで来ているんだ。

 

今日は凡人が天才に勝つ方法とテクノロジーを駆使した新しい生き方について語ってみた。次回以降もAIに関連するテーマは取り扱うので、興味があったらチェックして欲しい。

 

それではまた、次回の記事で。