ヒカリの学習ノート

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「お金」が好きなら先ずは知ることからはじめよう!経済からお金の雑学、テクノロジーの動向まで、このブログを読めば一気に学ぶことができるよ。

MMT(現代貨幣理論)補足 前編

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ヒカリの学習ノートにようこそ。

 

今日はカテゴリー「経済」で投稿した記事「MMT(現代貨幣理論)を知る」に関する補足説明の前編だ。

 

hikari-note.hatenablog.com

 

前の記事では国債発行と財政出動の仕組みを簡単に解説することで、いわゆる国(政府)の借金と言われているものが懸念事項ではないこと、景気の回復への後押しこそ優先するべきことだと伝えてきたんだけど、そもそもMMTと対極を成す主流派の貨幣論との比較をしていなかったので、何がどう違うのか分からないという読者も多かったと思うんだ。そんな疑問に応えるべく、今日から2回に分けて、主流派とMMT派の貨幣感の違いや日本と海外のMMTの違いについて説明して行くよ。

 

先ずは、主流派と呼ばれている従来の貨幣論と現代貨幣理論(MMT)の違いについて話して行こうか。

 

 

商品貨幣論(お金そのものに価値がある)

 

みんなは映画やアニメで中世ヨーロッパが舞台の作品を見たことがあるだろうか。その中では金貨や銀貨で取引している場面が出て来るよね。当時は金や銀というそれ自体に価値がある通貨を用いて取引されていたんだ。だから、財源には限りがあるし、領民から徴収した税を用いて領主は所有地を維持し、自らの生活を向上させてきた。時には金の含有量が少ない粗悪な金貨まで出回ることがあった。まさに、お金そのものに価値のある「物」だったんだ、

 

これこそが、従来の貨幣感である主流派の「商品貨幣論」だ。恐らく、現代人の多くが今でもこの貨幣論を信じていると思う。何故なら、財源が税金だと信じている人が大多数だからだ。未だに公務員の給料や社会保障費は『私たちの税金』で賄われていると考えているからだよ。つまり、財源は有限であって、赤字のときはより多くの税金を徴収しなければいけないという結論に至ってしまう。根底にある理屈は貨幣登場以前の物々交換による取引から来ているのだろう。要は、みんなが「価値がある」と信じている、替えの利かない有限の資源、つまり「金(きん)」と同一視しているんだ。そんな中世の貨幣感である「金本位制」が常識として染みついているからなのか一昔前には「埋蔵金」なんて言葉が出て来た時期もあった。これは霞が関埋蔵金(政府会計の話)のことで、徳川の埋蔵金とは関係ないんだけど、仮に徳川改造金の話と勘違いした人がいたとしても笑い飛ばすことはできないよ。結局、どちらも財源は税金であり、お金は有限なものだと考えているのだから、根底にある貨幣論は同じなんだ。お金を物だと考えていると言う点では変わらないよ。

 

国定信用貨幣論(お金とは国が価値を与えたもの)

 

一方MMTでは、お金はあくまでも国が価値を与えたに過ぎず、紙幣や硬貨(銅や青銅、白銅、ニッケル黄銅)という「物」はお金の価値を保存するための容器に過ぎないと見ているんだ。日本なら日本円、米国ならドルのように、国ごとに発行した通貨が価値あるものとして流通し、国民の間で共通して使われている理由は、その国で生活するためには税金を納めなければならないからだ。税金を納めなければ逮捕されてしまうから、仕方なく我々は日本円を使っている。仮想通貨(暗号通貨)が日本円に取って代わられることがないと言い切れるのは、日本円以外での納税を国が認めていないからだ。各国が納税を強制することによって、稼ぐために労働力が生まれ、より多くの富を有する者が他者を使うことができる。生活するためには労働して給料をもらわなければいけないわけだけど、累進課税によって稼ぐほどに吸い上げられるよね。これはマネ―ストック(世の中に出回っているお金)の量を調整することが目的なんだ。国定信用貨幣論が租税貨幣論とも言われている理由はそのためだよ。

納税を強制することによってその国の通貨に価値が生まれるのであって、徴税しないと財源が確保できないということではない。だけどそれを公にしてしまうと納税の意味に疑問を持つ人も出て来るだろうし、国としては生産力を上げたいわけだから、頑張って労働してもらわないことには困る。だからあまり大っぴらに「税金は財源ではありません」なんて言えないのかもしれない。みんなが貨幣論に興味を持って学ぶわけではないから、後々誤解が生じてややこしいことになり兼ねないからね。

 

ここまで聞いて、結局どちらも「お金に価値があるとみんなが信じている」だけじゃないかと思うかも知れないけど「商品貨幣論」では兌換性が前提とされていて、お金とは世界中の人間が共通の価値として認識している「金(きん)」と交換できる価値があると考えているのに対し「国定信用貨幣論」では、国が価値を保障しているから信用しているだけだ。更に、自国通貨で納税しないと逮捕さてしまうからお金を求めているのであって、お金そのものには「金」のような希少性はない。何故ならいくらでも発行できものだからね。

 

財政的制約はないが実物的制約はある(お金はいくらでも発行できるけど需要を満たすだけの資源や供給力が足りない)

 

こういうことを言うと必ずというほど「だったら50京円ぐらい発行して太平洋や日本海を埋め立てて国土を拡張してみせろよ」と極端な例を出してくる人がいるんだ。専門家でさえこんな反論をしているんだけど、はっきり言って不可能だよ。お金は数字としてなら1京円でも1垓円でもいくらでも発行できるけど、仮に太平洋埋め立て工事を政府が発注するとして、その資源や労働力が足りないよね。財源はともかく、労働力は有限なのだから、50京円もの需要を満たすだけの供給ができないんだよ。MMTが財源は有限ではないけど供給力には限り上がると主張しているのはそういうことなんだ。このことを「財政的制約はないが実物的制約はある」なんて言ったりしている。尚、MMTは赤字を軽視なんてしていないし、どの部分の、どの程度の赤字がインフレ率に影響するのかを気にかけているし、核戦争の勃発や大規模な災害で人的、物的に供給力が徹底的に棄損されてしまったならばハイパーインフレになるだろうことも認めているよ。この場合、先に上げた「財政的制約はないが実物的制約はある」がまさしく当てはまることになる。想像してみて欲しい、もしみんながストーンワールド(「Dr.STONE」稲垣理一郎/原作 Boichi/作画)みたいな文明の崩壊した世界でいくらお金を持っていても衣食住、何一つ確保できないだろう?お金の価値を支えているものが資源や労働力といった供給能力であるとはどういうことなのか、少し考えれば誰にでも分かることだろう。

 

国債を発行し過ぎると日本円の価値が下がる?

 

みんなが財政赤字を心配していて、将来世代へのツケを残すことになると信じているのなら「商品貨幣論」の立場にあるということになる。日本円の信用がなくなってヤバいというのは、私たちの日本円に対する信頼が揺らいで価値が下がると考えているからだ。だけど、先に説明した「国定信用貨幣論」の立場に立つと、この理屈は有り得ない。そのそも、価値が下がろうと何だろうと、税金を払わなければいけないのだし、日本で生活する上では嫌でも日本円を使わなければいけない。私たちが信用しようとしまいと関係ないことになる。日本国が円に価値を与え、納税は円で行うように強制している限りは信用が揺らぐことはない。それでも日本円が信用できないのなら保有金融資産を全てドルにでも替えれば良いだろう。そして日常生活ではドルを使い、納税もドルにしてみたら良いよ。「国定信用貨幣論」を否定するということは、そういう生活ができると断言するようなものだ。あと、海外の投資家が国債を大量に売ったらどうするんだと言われるけど、それなら円を発行して買い取れば良いだけだ。どれだけの規模の投資家であっても、一国の貨幣発行能力を上回るほどの資産を保有しているわけがない。

 

将来世代へのツケと懸念されている国債残高は、市場に供給したマネ―ストックの量を数値として記録したものに過ぎないんだ。統合政府(親子関係)である政府と日銀の間での貸し借りが原因で破綻するなどあり得ないことだということが分かるはずだ。国債金利の取り扱いやバランスシート上の問題については別の記事を参照して欲しい。

 

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高額納税者が偉いのだ!「財政均衡主義」

 

ここまで説明してきたけど、依然として多額の納税をした人が国に貢献しているという考えは人々の間に根強く残っている。これは、先に説明した「統合政府」を知らないからだろう。要するに、政府と日銀は別もので、政府には通貨発行権がない、だから財源を確保するためには国民からの税金が必要なんだという考え方だ。赤字は許されない、血税を大事に運用しなければならないというのが「財政均衡主義」だ。

確かに、資本主義社会に於いて雇用を創出している起業家の存在は大きい。研究、開発資金を確保して医療、科学の発展や技術革新をもたらしている企業の存在も国にとっては貴重だ。しかし、個人が大きく稼いで税金を吸い上げられていることと国の財源確保とは一切関係がない。医療や農業・漁業・林業・工業、通信、テクノロジー関連や交通、運輸のような私たちの生活に不可欠な労働と生産活動は存在しなければならないが、生きていく上で必ずしも必要ではないもので勝手にマネ―ストックを自分の懐に掻き集めて、貨幣流通量の調整のために税金を吸い上げられているとしてもそれは仕方のないことだし、国のために貢献しているという考えにも違和感がある。ひろゆき氏が言うように「生活に不必要なもの」あるいは「生存するために必ずしも必要ではないもの」ほど儲かる仕組みなのだ。身近な例で考えれば察しが付くものは多いだろう。ちなみに、映画「インターステラ」の世界では娯楽の一つであるプロ野球が廃止されている。

 

何度も言うが稼いだ分を吸い上げられるのは貨幣供給量の調整上仕方のないことなんだ。乱暴な言い方をすると、吸い上げられるのが嫌ならたくさん稼がなければ良いことになる。しかし、私たちの生活をより充実させ、文化を発展させるためには娯楽も必要だし、稼ぐ意欲が削がれると技術革新も起こらなくなってしまう。こんなにも便利な世の中になったのは誰かが得するからなんだ。そうでなければスマホは誕生しなかっただろう。単純に文字と音声で連絡が取れてネットが閲覧できるだけで良いのならガラケーで十分だったはずだ。人間の欲深さは発展をもたらすのだと筆者は考えている。それを思うと納税額の調整は難しい課題ではある。

 

とはいえ税金は財源ではないし、財政の目的が経済を安定させるためのものであることは揺るがない。以上の理由からも政府の赤字云々は関係ないのだというのがMMTの主張する「機能的財政論」であり「財政均衡主義」とは対極を成すスタンスなんだ。何度も言うが、依然として「財政均衡主義」で経済を捉える人が大多数であり、今後も変わることはないだろう。現代に於いて税金が財源ではないのだと主張することは、16世紀に地動説を唱えるようなものだ。異端者とみなされることは避けられない。

 

国も企業や個人と同じくマネーゲームの参加者なのか?

 

ここまで説明してきたように今尚根強く支持されている「財政均衡主義」の立場では財源は税金であり、有限なものであると考えられており、私たちはその価値観を基礎として政治的な判断を下してきた。国には自由に通貨を発行する権限はなく、企業や我々個人と同様にマネーゲームに参加するプレイヤーの一人に過ぎない。だから、競争に敗れた選手が失業しても致し方がないという結論になってしまうんだ。しかし、実際には日本政府と日銀は統合政府であり、必要に応じて財源を確保することができることは既に述べた通りだ。国は立法から徴税に至るまで、マネーゲームのルールを作り、補足し、時として管理、審判することができるゲームマスターのような存在である。だったら、運営者の役割から企業や個人の危機の際には介入して救済してやることもできるだろう。MMTが「国定信用貨幣論」の立場から主張しているのはこういうことなんだ。

 

中央銀行の介入でお金の供給量を増やす「外生的貨幣供給論」は無意味?

 

マネーゲームのプレイヤーである企業や国民が苦戦しているのであれば、ゲームマスターが介入してやれば良いとは言ったけど、中央銀行による金融緩和にはどの程度の効果があるのかについては非常に疑問だ。銀行が保有する国債を日銀が買い受けて、日銀当座預金を増やしてやることはできるよ。これは買いオペとして知られているんだけど、要するに中央銀行が外側から介入して貨幣を供給してあげれば後は勝手に企業が融資を受けるだろうという考えだ。このことを「外生的貨幣供給論」と言い、主流派の経済学が採用してきた方法だ。金利を低くすれば借りやすくなるだろ、あとは設備投資でもなんでもしてくれ、と。でもね、デフレで需要が落ち込んでいるときに設備投資したがる企業がどれぐらいあるのだろう。それを言っているのがMMTの「内生的貨幣供給論」なんだ。起業や国民がお金を借りたいと思えるような社会情勢にないのであれば、どれだけ銀行の貨幣供給量を増やしたところで借りる人はいないだろうという主張だ。だからこそ、まずは政府が率先して需要を作ってあげて、企業の設備投資と雇用を促進してあげようじゃないかと言っているんだ。日本のような災害国であれば公共事業で国民の命を守ることもできる。この辺は、公共投資に否定的な本家MMTとは異なるところなんだけど、その話はまた後編で触れたいと思う。

 

補足のつもりで書いた記事なのに長くなってしまった。

ここまで読んでくれてありがとう。次回はもう少し短くなると思うから、せっかくなのでまた読んでみて欲しい。

 

それでは、また次回の記事で。

音声SNSはビジネスで使えるのか? Clubhouse(クラブハウス)のこれから

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ヒカリの学習ノートを読んでくれてありがとう。

今日は、今注目を集めている音声SNSアプリClubhouse(クラブハウス)について、ビジネスでの有用性を主眼に置いて見て行きたいと思う。アプリの使い方や特徴については既に他の人が記事にしているみたいだから、気になった人は各自で調べてみて欲しい。

 

 

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先行者利益を狙う著名人の動き

 

田村淳やホリエモンなどの著名人はもちろん、ビジネス・ノマド系ユーチューバーとして活躍しているイケダハヤトのようなインフルエンサーは既に参入している。

言うまでもないことだが、彼らは皆、このClubhouseにビジネスチャンスを見出しており、早い段階から先行者利益を狙っているんだ。

 

昨年まではフリーランス界隈でも5Gの到来を理由に「これからの時代は動画だ!」と言われていて、動画編集スキルが稼ぐ手段の一つとして注目されていた。にもかかわらず、今年に入って急激に音声メディアが人気になった背景には何があるのだろうか。これについては諸説あるが、一つ言えることは在宅ワークの影響が大きいだろう。自宅での作業中、目と手は塞がっているけど、耳は空いている。動画ならスマホ片手にじっと画面を見ていなければいけないけど、音声だけなら聞き流しで作業ができる。昔の学生がラジオを聴きながら勉強していたような感じだろうか。手軽さが求められる現代の需要にマッチしたサービスがこの音声配信アプリだったというわけだ。

 

現時点(2021年2月)では課金システムは用意されていないから、Clubhouseで直接稼ぐことは出来ないんだけど、将来的には有料サービスが搭載される予定だ。今のうちからリスナーを集めておけば収益確保もスムーズだろう。課金システムが導入されるまでの間は自分のサロンや商材なんかのサービスに誘導する手段としても使える。ビジネス系のインフルエンサーの場合はそれが狙いで使っている人が多いだろう。

 

行動心理学のお手本のようなトレンド

 

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Clubhouseは2020年3月に米国のベンチャー企業がローンチしたサービスだ。それから僅か1年足らずの2021年2月上旬時点での日本国内のユーザー数はなんと50万人を突破している。驚くべきことは、日本でサービスを開始してから僅か1週間で20代の34%が認知するに至っていることだ。

そんな爆発的な人気を集めているClubhouseだけど、流行りに乗じるには乗り越えるべきハードルがいくつかある。

先ずは年齢制限、使用できるのは18歳以上だ。そして端末、現時点ではまだAndroid版はリリースされていない。今すぐに使いたいのであればiPhoneを買うしかないだろう。極めつけは完全招待制であることだ。一時期メルカリでは高値で売買されていたね。招待制と言えばかつてのmixiを思い出すけど、当時の若者はそこまで必死にmixiの招待を受けようとしていただろうか。

Clubhouseが使えない疎外感を味わっているのは何も20代だけではないようだ。アプリの認知度が1割弱程度の40代であっても焦りを感じていると言われている。世代にばらつきはあるが、少なくとも人生の半分以上をネット時代に生きて来た者であれば乗り遅れたくないという焦りを覚えるのは自然なことだろう。

 

ここまで話して来た新サービスの爆発的人気と人々に与える疎外感と焦りは、マーケティングで使われる行動心理学と照らし合わせてみることができる。ひとつひとつ確認していこう。

 

先ずはバンドワゴン効果。みんなが「Clubhouseを使っているのだから自分も使わなければいけない」という心境だ。すべて他人の行動が影響している。高値で取引されているインビテーションは、希少性に価値を見出すスノッブ効果だ。つまり「他人と差別化を図りたい」「他人の持っていないものが欲しい」という欲求を刺激する。そして、ビジネス系インフルエンサーが「動画から音声メディアの時代になる」と主張する権威性の法則。これについては筆者を含めネットビジネスに関心を寄せる者なら信じざるを得ない、有無を言わせぬ説得力を示している。

この他にはFOMO(fear of missing out)、これは「疎外感や流行を見過ごすことへの恐怖心」を駆り立てる。最後はカリギュラ効果、これについては年齢制限やiPhoneユーザーしか使えないという制限が当てはまるだろう。「自分は使えないんだ」と思うと益々「使いたい!」「欲しい!」と感じる心境は、みんなにも覚えがある筈だよ。

 

どうだろうか。ざっと思い付く限りを並べてみただけでも結構当てはまるよね。正直、運営元のAlpha Exploration Coが狙ってやったというよりは結果的にこうなった感が強いんだけど、これらの心理作用が効果を発揮しているのは事実だ。

 

政界にもインタラクティブメディア(対話・双方向型の媒体)を活用する時代が来るのか?

 

発信者である政治家と受け手である国民が相互に、リアルタイムで質疑応答するようになると言われているんだけど、これについてはどうなんだろうね。芸能人の会話に一般人が割って入ったり、各界の著名人や学者と討論することは実現するかもしれない。だけどClubhouseが政治の世界で使われるのかと言われると大いに疑問だ。

ニュースサイトの記事では「総理大臣や大統領の対談に国民が参加して直接質問できるようになる」みたいなことが言われているんだけど、事前に通達されていない、記者でも何でもない素人からの質問内容に準備無しに総理や大統領が即座に応えられるのだろうか?どこかの元総理で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長のように口を滑らせて一瞬で政治生命が脅かされる可能性だってあるだろう。もちろん、放送内容から質問を予測して官僚が回答を準備しておくことも可能だろうが、録音されないとはいえ全世界にリアルタイムで配信される放送でやるべきことなのだろうか?あまりにもリスキーだろう。

双方向性にこだわらないのであれば、水戸市の高橋靖市長のように、あらかじめ決められた内容を発信する手段として使うことは可能だ。現時点ではiPhoneユーザーでClubhouseに招待された市民限定になってしまうが、後々アプリが普及したときにインターネットラジオ感覚で利用出来るようになる。災害時に情報を得る手段として効果を発揮しそうだ。

ビジネスの観点から考えられるのは、マスコミがClubhouseを活用することだけど、これは政治、芸能記者を問わず難しいだろう。何故ならメモも録音も原則禁止されているからだ。あとから記事として発表することも規約上許されない。事前に許可を取り、書面を交わしてインタビューする方法もあるが、それなら従来の記者会見がネット会見に変わったというだけの話だ。今のご時世は便利かもしれないけど、その程度でしか使い道がないということだ。

 

会社の会議で活用する

 

Clubhouseは複数人の会話にも優れている。高音質でラグもない。まるで同じ部屋に集まっているかのような臨場感が味わえる。音声だけで完結する会議であればZOOMを使う必要もないし、何よりも手軽だ。小規模な会議であれば十分使用価値がある。

だけどここで注意したいのは、運営者側も聴くことができることだ。あくまでも監視の目的ではあるんだけど、企業の機密事項をClubhouseで話し合うことはおすすめできない。特に競合のIT系企業は気を付けた方が良いだろう。重役の秘密会議がひっそり行えるような話も聞いたけど、以上の理由から不可能だ。

 

その他の用途としては、朝礼での活用だろうか。楽天は元々ネット配信で朝礼を行っていた記憶があるので、質疑応答が出来るClubhouseは大企業で経営者と社員との距離を縮めるには良いツールだろう。もちろん、機密事項は漏らせないが...。

他にも、会長職に退いたAmazonのジェフ・ベゾスが顧客と直接コミュニケーションを取る手段として使うことも考えられる。顧客第一主義の経営者にとっては利用しない手はないだろう。

 

早速Clubhouse(クラブハウス)をはじめたい!

 

先に説明した通りClubhouseは現時点(2020年2月)では完全招待制だ。

 

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インビテーションを購入する以外の方法で参加したいのであれば、アプリをインストールして、電話番号と基本情報を登録しよう。これで「Waitリスト」に入ることができる。あとは友人or知人から「承認」されるのを待つだけだ。あなたの電話番号を登録している人がClubhouseをはじめた際に招待してくれるかもしれない。

LINEを始めたときに、何年間も連絡を取っていないような知り合いが「友だち」に追加されていた経験はないだろうか。意外と自分の番号を登録している知り合いはいるものだ。その中の誰が自分を招待してくれるかは分からないけど、何もしないでいるよりも、先ずはアプリを入れて誰かに拾い上げてもらうのを待ってみた方が良いだろう。

 

私のノートでは経済学に留まらず「お金」に関わる話を幅広く取り上げて行くつもりなので、今回もビジネスや副業に繋がる話題としてClubhouseについて私見を述べてみた。今後もお金とビジネスに関連する情報をシェアしていければと思っているので、引き続きチェックしてもらえるとうれしい。

 

それでは、また次回の記事で会おう。

一般歳出と国債費について

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ヒカリの学習ノートにようこそ。

 

ここまで3回に渡って財政赤字とクラウディングアウトといったMMTを取り巻く諸問題や疑問を抱かれている点について説明してきたんだけど、今回は財務省の資料を見ながら不明点をまとめることにしたよ。

 

以前の記事をまだ読んでいないという人は、ここで説明する内容に目を通した後でも構わないから、一度確認してみて欲しい。

 

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*出典 財務省HP「これからの日本のために財政を考える」(https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/index.html)より

 

では、早速本題に入ろうか。

毎年、国の予算はだいたい100兆円程度が一般会計から歳出されていて、そこから社会保障費や地方交付税交付金等の国民生活に必要な予算が割り当てられている。2020年度の歳出は102.7兆円だったことが見て取れるだろう。このうち、22.7%を占めるのが、政府の借金と噂されている国債費の23.4兆円だ。この中に利払いや期限の到来した国債の償還費用が含まれているよ。

 

この資料を見た時に“一般会計歳出の約1/4が国債費で、そこに含まれる償還費用や利払いが税金によって賄われているのか”と考える人がいるかも知れない。やはり過去のツケが自分達に、そして将来へと引き継がれてしまうのか…と。これはよくある誤解だから仕方がないだろう。

 

では、次の資料を見て欲しい。

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二つのグラフを見比べてみて、何か気付くことはあるだろうか。

 

税収がおよそ70兆円だから102.7兆円の予算を一般会計から歳出には32兆円は不足していることが分かるよね。

これについては見ての通り、公債費として32.6兆円が新たに予算に組み込まれているよ。そこから国債の利払いや償還費用(借り換え)が賄われているんだ。

 

だからどうしたのかって? ここまで話せばもう分かるよね。要するに、新たに国債を発行することで、将来のツケとされている国債の利払いや償還費用を賄っているということなんだよ。これに関しては過去の記事でも60年償還ルールの話で触れていたと思うけど、俗に「借金」と呼ばれている国債は、償還期限が到来したものから順次借り換えを行うことで「返済」されているんだ。つまり、新たな国債を発行することでちゃんと“借金を返している”んだよ。だから「返さなくても良い借金」という表現が誤解を招いてしまっている。

付け加えると、国債を税金で返済してしまうと、その分だけマネ―ストックが消滅してしまうので、経済を回して行く上で不都合が生じてしまうんだ。だから、税金で返したくても実現することが難しいという理由がある。

 

「私たちの税金から強制的に支払わされているわけではないことは分かった。だったら私たちから税金なんか取らないで、新たな国債をジャブジャブ発行して予算を賄ってしまえばいいじゃないか!税金なんてはなからいらないだろう!!」

という疑問は必ず湧いて来るだろうね。あちこちで、いろんな人が何度説明しても毎回、必ず同じ疑問をぶつけられているのを目にするよ。筆者も過去に説明していると思うし、この先も繰り返し言い続けることになると思うんだけど、念のためここでも説明しておくよ。

 

財源が税金から賄われているわけではないのは事実なんだけど、税金には他に大切な役割があるからどうしても無くすことができないんだ。

 

一つは、富の偏在を抑制すること。これは累進課税によって行われている。所得の差異を問わず一律の税額だったら高所得者以外は生活できなくなってしまうからね。

二つ目は、インフレ率の調整だ。好景気には政策金利を上げる方法もあるけど、それと同時に税金として吸い上げることで、加熱した景気を抑える役割がある。このことからも、デフレ期での消費増税が逆効果であることが分かるだろう。消費を後押ししたいのに消費に対するペナルティを課すというのはおかしな話だ。

三つ目は、恐らくこれが最も重要な税金の役割だろう。私たちが日本円を使う根拠とすること。国内通貨としての価値を裏付ける効果だ。どういうことかというと、私たちがどこのお店に行っても支払いで必ず円を使っているのは、「円」でしか税金が納められないからだよ。国内でみんなバラバラの通貨を使われたら困るよね。政府としては自国通貨を普及させたい。そのために、日本で生活する全ての人に円による納税を義務付けているんだ。私たちが円を使用しているのは、円の信用を買っているからではなく、円でしか取り引きできないから仕方なく使っているだけだよ。

 

某有名政治塾が理想に掲げていたような無税国家を実現したいのであれば、MMTの問題以前に先に挙げた3つの役割を全て放棄してから実現して下さいと言う他ないよ。

 

バブル崩壊以降、伸び悩む税収の不足分を国債発行で埋めて来たと言われているけど、デフレで消費が落ち込んでいれば税収だって落ち込むだろう。どうしても税収を上げたいのであれば富裕税でも導入して取れるところから取ってみても良いだろうけど、それをしたところで結局は国家予算として市場に放出されることになるのだから同じことだろう。

市場というシンクから国のタンクに吸い上げられた水が、再び実体経済に戻ってきているだけなんだからね。

市場であるシンクの中には国民の現金や預貯金が1600兆円ほど流れていて、そこから出たパイプの中を流れるのがGDPおよそ550兆円ほど。もう一方のパイプ内を金融経済の750兆円ほどが毎年流れている。

私たちが生活している世の中のお金の流れを簡略化するとそんなところだろうか。

 

「自分は今の生活に満足しているからこれ以上の経済成長なんて望んでいない」と言っている人を見るんだけど、どうしてマクロ経済の問題から個人の生活レベルの話にすり替えられるのかという疑問はこの際無視するとして、日本という国においては経済成長しなくても良いという話は有り得ないんだ。近隣諸国との関係を考えれば分かるだろう。GDPと財政規模はほぼ相関しているんだよ。つまりGDPが増えなければ財政的余裕もなくなってしまうから、軍事費の確保も難しくなってしまう。隣国の経済成長に合わせて日本も成長していかなければならないんだ。

「だったらどこかの予算を削れ!」という定番の文句が思い付いた人はさっきのシンクの話に戻ってみて欲しい。実体経済を流れる資金が変わらず、デフレのままで設備投資もされず、技術革新も経済成長もなく、ただ少ない牌をどこかから奪って分け与えるだけで解決できるような問題ではない。そもそもの話、資源(と労働力がその国の通貨の価値を裏付けている)の乏しい日本において、設備投資や技術革新を抑制するなんて愚かな話だ。

 

今回は一般歳出と国債費の疑問についてまとめてみたよ。良く分からない人は他の記事も参考にしてもらえると有り難い。

 

それでは、また次の記事で会おう。

MMT(現代貨幣理論)を知る

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ヒカリの学習ノートにへようこそ。

今日は、前回までの記事でも話題に挙げていたMMT(現代貨幣理論)について説明して行こうと思う。

デフレ下の現在、経済を語る場面ではこの用語が頻発するし、数々の議論が展開されていることは、ネットやテレビのニュースを見て気付いていると思うんだけど、そもそも「MMTって何なんだ?」って人が多いと思うんだ。たぶん、テレビや新聞、雑誌なんかでは主流派経済学者や評論家によるMMT批判の方が目立っているから、なんとなく怪しい理論のように思われているかも知れない。筆者が目にする情報も、殆どが否定的な見解だった。特に銀行家や投資家にはMMTアレルギーの人が多い印象だ。

とはいえ、これから説明するMMTは、暴論でも何でもなくて、純然たる事実を言っているに過ぎないんだ。

銀行が信用創造(与信行動)でお金を創出していること、要は借入が預金を増やしていることについては、参議院決算委員会(平成31年4月4日)で西田昌司参議院議員から質問を受けた黒田日銀総裁も認めている。

貸出しが預金を生み、尚且つ元手となる資金の制約を受けないという市中銀行の仕組みは、日銀の政府に対する貸出しにも通じるものがあるだろう。

 

この問題を巡る議論では種々雑多な見解が溢れており、中には本題であるMMTの理屈以上に暴論とも思える反論が飛び交う場面もあるのだけど、ここではそれに対する反論を取り上げるわけではなくて、MMTとはどういうものなのかを淡々と説明することに終始するつもりだ。本質が分からないと賛否を決めることも難しいからね。そして、今、日本が置かれている経済状況と照らし合わせた上で、各々が判断すれば良いと思う。

 

このテーマは昨年の5月、ちょうど東京で緊急事態宣言が解除されたあとに取り上げる予定だったんだけど、他の記事の掲載が先行してしまったため遅くなってしまった。どうしてその時期に発表したかったのかというと、経済評論家の三橋貴明先生の番組に、あの人気ユーチューバーで実業家のラファエルさんがゲスト出演して話題になったタイミングだったからだ。ラファエルさんが経済に精通していることや、三橋先生を尊敬していることは筆者も知っていたんだけど、まさかお二人の対談が実現する日が来るなんて思わなかったんだ。時期は逃してしまったんだけど、今後興味を持つ人が出て来る可能性に期待して、この機会にMMTの解説をまとめることにした。

 

なるべく簡潔で分かり易い説明を心掛けるつもりだ。バランスシートを使って解説する方法もあるんだけど、今回は視覚的にイメージし易いように示して行くことにする。

先ずは大まかな全体構造さえ掴んでしまえば速いので、図を見ながら流れを掴んでもらいたいと思う。


政府の新規発行国債を日銀が直接引き受ける場合(日銀直接引受)

 

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日銀が直接国債を引き受けた場合

図を見ながらで良いので、順に確認していこうか。

 

先に日銀が政府から国債を引き受ける(買い入れる)場合を考えてみよう。政府が国債を発行した後の流れは、大まかに以下の通りだ。

 

  1. 政府が新規に国債を発行して日銀に購入してもらう。日銀は、国債の購入代金の支払いとして政府の日銀当座預金を増加させる。これが、日銀の政府に対する信用創造(与信行動)だ。
  2. 当座預金を増やした政府は、その資金を使って公共事業を発注する。そこで、発注先の企業、例えば建設会社に政府小切手(*現在この方法は用いられていない)を振り出して、工事の依頼をする。
  3. 政府小切手を受け取った建設会社は、そのままでは社員の給料を払えないので、現金化する必要がある。さっそく、取引先の銀行に小切手を持ち込んで、代金を取り立てる。
  4. 政府小切手を受け取った銀行が、建設会社の口座に小切手相当額を入金(記帳)する。この瞬間に新たな預金が創造(民間の貯蓄が増加)されたことになる。銀行も小切手だけ持っていても仕方がないから、日銀に対して小切手相当額の取り立てを依頼する。
  5. の国債発行で増やした政府の日銀当座預金から、政府小切手を受け取った市中銀行の日銀当座預金に小切手相当額が移動する。そうすると、市中銀行の日銀当座預金が増えるので「超過準備」が発生する。銀行は、超過準備分を解消するために国債を購入する。これによって国債金利は低下する。

 

さて、どうだろうか。これが日銀直接引き受けだ。

注目したいのは、政府の国債発行によって民間貯蓄が減るのではなく逆に増えていること、国債金利が高騰するのではなく下がっていることだ。政府が国債を発行すると民間貯蓄(みんなの銀行預金)が減少するという理屈が当てはまらないのだから、民間貯蓄の不足で金利が高騰するという批判も当てはまらない。

 

さて、このぐるぐる回す動きは延々と行うことができるし、もちろん財政破綻もしない。

といっても、デフレ下での話だ、インフレ率を達成して好況となったならば、今度は国債発行を抑えるなり、増税するなり、社会保障費を縮小するなりすれば良いだろう。そのときこそ緊縮を行えば良いという話だ。

 

ただし、今説明した方法は財政法5条によって原則禁止とされている。

 

財政法 第1財政総則 第5条「すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。」

 

要するに財政節度の維持やハイパーインフレ、日本通貨の信用失墜の回避が目的なんだね。

例外として国会の議決があれば直接引き受けを行うこともできる。

では、その都度国会の議決を経て国債を発行しているのかというとそうではないんだ。あくまでも財政法が禁止しているのは日銀による直接引き受けであって、市中銀行が国債を引き受けることまでは禁止していない。

 

次に説明するのがその「市中消化の原則」なんだけど、現行法の下で実行されているのがこの方法なんだ。先程の内容と大きくは違わないので、一つ一つ確認してみて欲しい。

 

これについても図を示しながら説明していこうか。

 

政府の新規発行国債を市中銀行が引き受ける場合(市中消化の原則)

 

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市中銀行が国債を引き受けた場合
  1. 先ず銀行(市中銀行のことだよ)が政府から国債を購入する。購入代金は銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金に振り替えられる(当座預金残高が増減するだけ)。
  2. 当座預金を増やした政府は、その資金を使って公共事業を発注する。そこで、発注先の企業、例えば建設会社に政府小切手を振り出して、工事の依頼をする。
  3. 政府小切手を受け取った建設会社は、そのままでは社員の給料を払えないので、現金化する必要があるね。さっそく、取引先の銀行に小切手を持ち込んで、代金を取り立てる。
  4. 政府小切手を受け取った銀行が、建設会社の口座に小切手相当額を入金(記帳)する。この瞬間に新たな預金が創造(民間の貯蓄が増加)されたことになる。銀行も小切手だけ持っていても仕方がないから、日銀に対して小切手相当額の取り立てを依頼する。
  5. の国債発行で増やした(市中銀行から受け取った)政府の日銀当座預金から、政府小切手を受け取った市中銀行の日銀当座預金に、小切手相当額だけ移動する。しかし、今度は超過準備には陥らないよ。何故なら1.の国債購入時に政府当座預金に移動した資金が再び銀行の当座預金に戻ってくるだけだから、国債の売買による日銀当座預金額の増減はない(元通りになるだけ)だからだ。

1.で国債を引き受けるのが日銀から市中銀行に変わっているだけで、流れとしては直接引き受けと変わらないよね。違いがあるとすれば5.で銀行の日銀当座預金が増加しないことだ。当然だよね、国債購入時に市中銀行から政府に支払われたお金(当座預金)がそのまま戻ってきているだけなんだから。

 

ここから更に、日銀が市中銀行から国債を買い受ければ新たに日銀当座預金が付与(増加)されることになるだろう。

 

以上の通り、市中消化の原則でもこのプロセスを繰り返し行うことができるし、日銀直接引き受けのような問題(当座預金残高の増加)も発生しない。もちろん、国債金利も上昇しないんだ。この方法を用いる際に注意するべき点としては、インフレ率だけだろう。

 

念のため付け加えておくけど、市中銀行が国債を買い入れたとしても、それは銀行の日銀当座預金(中央銀行から供給された)から支払われるのであって、民間貯蓄(私たちの預金) を使って購入されるわけではないから、私たちの預金が減少することはないんだ。同時に、金利が上昇するという心配がないことも、市中消化による一連の流れから読み取ることができるだろう。

政府が国債を発行して財政出動しても財政破綻が起こり得ないと言われる理由はこれなんだ。

※通貨の価値を支える資源と供給力が棄損していない場合に限る(戦中戦後は例外)

 

最初の日銀直接引き受けの話に戻るんだけど、超過準備の解消のために銀行が国債を購入することによって国債金利は低下するよね。でもその場合には、日銀が政府から引き受けていた国債を銀行に売却して溢れた日銀当座預金を吸い上げてあげるという手段がある。見方を変えれば銀行が政府から国債を購入して余分な日銀当座預金を消化しているのと同じだよね。結果として、直接引受も市中消化の原則と同じことをやっていることになるんだ。つまり、国債金利は不変であると言える。

 

尚、国債の利払いにどう対処していくのかについては「政府の負債をチャラにできる?国債のキャンセルは可能か」で前後編に分けて触れているので、気になる人はそちらの記事も読んでみて欲しい。

 

まとめると、日銀直接引き受け、市中消化の原則、いずれの場合も財政出動によって新たな民間貯蓄が創造されていることが分かる。国債の金利も、先に説明した通り、直接引き受けであれば日銀が市中銀行の超過準備分を国債売却によって吸い上げてあげれば国債金利が上昇することはない。本質的には市中消化の原則と変わりがないと考えられるね。

尚、度重なる量的緩和(日銀が民間保有の国債を購入することによって銀行の日銀当座預金を増加させる政策)によって、国債金利は下がり続けている。日銀当座預金をいくら増やしたところで民間貯蓄が増えることはないから、先に説明した通り、民間の預金を増やすためには財政出動するしかないんだ。

量的緩和を止めたところで金利が高騰することがないことは、“貸出しが預金を生む”市中消化の原則の仕組みからも明らかだろう(財政赤字が金利を高騰させる心配はない)。仮に日銀直接引受を実行したとしても、先程提案したように日銀が政府から引き受けた国債を市中銀行に売却(超過準備を吸い上げる)することによって市中消化の原則と同じ効果を実現することができるんだ。つまり(超過準備を使って国債を購入することにより)国債金利が低下するという懸念はない、国債の金利は不変ということになる。

 

後半から、国債キャンセルの記事以来のややこしい話になってしまったかも知れない。最初はなかなか理解できないだろうけど、繰り返し学んで整理していけば次第に理解できるようになる筈だ。

 

最後まで読んでくれてありがとう。少しでも財政出動と国債発行の仕組みに興味を持ってもらえることを願っている。

 

それでは、また次回の記事で。

財政赤字とクラウディングアウト-MMTを知る前に-後編

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ヒカリの学習ノートにようこそ。

お待たせしたね、今日は「財政赤字とクラウディングアウト-MMTを知る前に-」の後編に入るよ。後の記事で学ぶMMTの予習も兼ねて、国債発行と財政出動の仕組みについても触れて行くことにしよう。

少し前までは「1000兆円の借金がある」とか「将来世代にツケを残してはいけない」とか言われていたけど、最近では本気にしている人は少なくなってきたんじゃないかな。まぁ、実際のところは、我々国民の「借金」から国や政府の「借金」という認識に置きかえられているに過ぎなくて、財政赤字は危険なものなんだという認識に変わりはないようだけどね。そういう人たちが、前回話した「クラウディングアウト」や「マンデルフレミングモデル」という一見筋が通っているように見える理屈を取り出して理論武装するエコノミストの主張に流されているわけなんだけど、その手の人たちに共通していることは“お金はモノ”であると考えているところだと言えるだろう。

実態経済として信用創造が導入されているのに、何故このような錯覚が生じてしまっているのかは分からない。有限なのは「お金」そのものではなくて、その価値を支えている「資源や労働力」の方だ。それさえも将来、AIとナノテクノロジーの発展によって解消される可能性はあるんだけどね。

話を進めよう。これから国債発行の仕組みについて説明していくわけだけど、MMTを肯定するか否かは見解の分かれるところだと思う。これは“MMTはトンデモ理論だ”というような主流派の主張についてだけ言っているわけではないよ。彼らには否定しなければならない理由がある。特に経済学者や評論家、自分の資産を守りたい投資家は立場上仕方がないだろう。そういう人たちのことは置いておくとして、ここで言う見解の相違というのは、MMTを認めつつも万能とまでは考えていない、慎重派の人たちもいるということだ。そうした議論に踏み込んで行くためにも、広い視野で情報を見聞きして、判断できるだけの知識を身に付けておく必要がある。 

この場で全ての論点に触れることはできないけど、出来る限り情報を整理していくことにするね。

ここから先の話が良く分からないという場合には、飛ばしてしまって次回の記事を読んでも構わない。今の段階で話を聞いても意味が分かり難いかも知れないからね。

 

◆MMTは正しいのか?国の借金を返済するとどうなる?

政府が需要を生み出す財政出動は、今のようなデフレ期には有効な施策と言えるだろう。特に外需型の日本においては通貨安競争を闘い抜くためにも無視できない政策の一つだ。

「借金」という名を借りてはいるけど、実態を説明するならば政府による銀行への「債権譲渡」と表現した方が誤解を招かなくて済むだろう。それでも尚、国民の税金から返済するべき「借金」なのだと言うのなら、それが何を意味しているのかをよく考えてみて欲しい。政府の黒字は国民の赤字だ。1000兆円の返済が完了する頃にはマネーストックが激減して、私たちが経済を回せなくなってしまうよ。

参考までに、2019年時点の市中にある現金・預金は凡そ1580兆円だ。そこから返済して、63%も減少した資金で経済活動を行うのだろうか?返済したそのお金はどこへ行ったのだろうね。結局は政府が財政出動して市場に戻すしかないだろう。

実際には一括で返済させることはないだろうから、無理のある話なんだけど、分かり易くするために極端な例を上げてみたよ。

ここで誤解のないように付け足しておくけど「返さなくても良い借金」というのは語弊がある。正確には「借り換えができる借金」だ。事実、政府は毎年国債を償還する際に60年償還ルールに基づいて返済(借り換え)を行っている。

因みに、日銀は米国のFRBとは違って政府の子会社だ。日銀が債務超過に陥ることで通貨の信用がなくなると懸念する声をたまに聞くんだけど、通貨発行者であり管理者でもある日本政府を親に持つ日銀がどうしたら破綻するのだろうか。

政府通貨(デジタル通貨など)を発行して国債を償還してしまおうという提案をしている専門家もいるんだけど、そこまでして国債残高を調整する必要性はないだろう。理由は、政府と日銀が統合政府だからだ。貸主と借主が同一経済主体ということは、そもそも借金は無いに等しい。従来通り借り換えで償還もできる。そこまでして現行のシステムを覆して新たな試みに乗り出す意味があるのか疑問だ。

もちろん、将来的に納税や公共料金の支払いにデジタル通貨を普及させて国民生活の利便性を図る目的でブロックチェーン技術の研究、開発を進めたいというのであればそれもありだと思う。デジタル円の研究は進められているのだから、実現可能性は十分あるだろう。その代わり、発行元が日銀では意味がないだろう。だって、日銀が発行した通貨で日銀の債権である国債を消すことはできないからね。そうなると、やはり政府が発行することになるんだけど、先に説明した通り利便性の追求だけのために政府通貨を発行して現行の通貨と併用する生活になるよ。

ここでは「そこまでしたいのか?」という話は置いておこう。我々国民が後から決めれば良いことだ。

 

◆膨れ上がったマネタリーベースはどうなる?利払いは国民の負担になるのか?

政府の債務問題の解決策の一つとして、日銀保有国債の一部を無利子永久債化するという提案があることは、筆者も記事として取り上げているので、興味のある人は読んでみて欲しい。この解決策については様々な疑問、不安、反論があって、論争の絶えない話になってしまう。ここでは一つの指摘を取り上げてみるね。

ある反論によると“450兆円の無利子永久債を日銀に握らせてしまい、政府の借金をチャラにしようとしたとする。この場合は同額の準備金(日銀当座預金)が増える。そうすると、巨額のマネタリーベースのせいでインフレが加速するから、景気の過熱を抑えるためにも利上げを行わなければならないが、その手段である売りオペが永久債ではできない。こうなってしまうと超過準備への付利を上げることで対応するしかないが、2%のインフレ目標が達成したと仮定すると、それ以上の付利を行う必要がある。仮に3%の付利を450兆円の超過準備に行うとすると、13.5兆円の利払いを追うことになってしまう。仮に政府が利払いのために日銀に資金を注入するとしたら、税金で支払わなければならないわけで、そのときの国民負担はどれほどのものになるのか…”というものなのだけど、順を追って説明していこうか。

先ず、この話はマネタリーベースの増加がインフレを引き起こすことを前提に話されているんだけど、日銀当座預金の増加が実体経済に影響を与えることはないという認識が諸外国でも広がっている。そもそも、日銀当座預金には民間企業や個人は関わることができないのだから当然だろう。この時点で景気の過熱の心配はいらない筈だ。先に説明した通り、敢えて手段を講じる必要はないんだけど、どうしても何かやりたい、提案してくれと言うのであれば、有利子(変動金利)永久債に置き換えることで日銀の資産性を確保しつつ、金利収入の一部を国庫納付金として政府に納めるようにするという方法だってある。一気に450兆円もの国債を永久債化したくないのであれば、例えば保有日銀券(日銀にとっては無利子の永久債務だ)の総額である110兆円を上限として、10兆円ずつ国債の償還時に発行していけば良いだろう。日本は毎年60分の1ずつ一般会計から債務償還費として国債整理基金に繰り入れているんだけど、ここで発行されている新規の国債が(建設国債を除けば)ちょうど10兆円になるから釣り合う計算になる。つまり、この方法で順次償還して行けば、一般会計からの歳出を減少させることができる。増税の負担を軽減したいのであれば、消費増税した年度に永久債化を実行するようにすれば、浮いた10兆円分を社会保障費に回すなどして、国民の負担を和らげることもできる。

先の無利子永久債化への不満は、一気に450兆円もの国債を永久債に置き換えて、マネタリーベースだけ膨らませてどうするんだ!というものだったけど、別に一気に永久債化する必要はないし、無利子にする必要もない。仮にそうしたからといって、市場が混乱するほどの過度なインフレが生じるということは考え難い。金融緩和でインフレになるのならとっくの昔になっているだろう。それに、一部で借金を「返す」「返さない」で盛り上がってるみたいだけど、ちゃんと返しているよ。何度も言うけど借り換えを行っているんだ。満期が到来した国債を新規国債で償還する、これは当たり前のように行われてきたことだし、今後「やっぱり返すの止めるわ」なんて言い出すことはあり得ない。何故って、そうする理由がないからだ。それこそ通貨への信任を失ってしまうのだから返さないわけがない。「返さなくても良い」借金ではなくて「借り換えができる借金」だと記憶に刻んでおいて欲しい。

最後に補足するけど、金融緩和の出口に備えて日銀は「債券取引損失引当金」を積み立てているよ。さっき資金の工面に懸念する声を取り上げたけど、インフレ目標を達成した際に日銀当座預金に対して付利するための資金は一応蓄えている。2019年3月期の段階で8154億円積み立てている。

これに税金を加えたとしても利払いができないんじゃないかという指摘も見受けられる。確かに、13.5兆円もの利払いを負う可能性を考えるともっともらしく聞こえるんだけど、そもそも無理に付利する必要があるのだろうか?本来、当座預金には利息なんか付けないものだ。これは臨時金利調整法という法律によって決まっている。そこを特別に付利しているのが日銀当座預金なんだよ。インフレ対策としての付利は米国のFRBが行っているからそれを参考にしているんだろうけど、そもそも付利を行う必要なんてないよ。何故って、銀行が無限に信用創造できるわけではないからだ。理由は、BIS規制によって自己資本比率の8%までと歯止めがかけられているからだ。だから銀行が有り余る当座預金を運用しようとして信用創造を乱発するなんてことはあり得ない。どうしても景気の過熱を抑えたいのであれば、預金準備率の引き上げという方法もあるだろう。意地でも当座預金に付利する必要はないんだよ。

 

◆払った国債金利は結局政府に戻ってくる?

国債の46%を日銀が保有しているという事実も忘れてはいけない。日銀は政府の子会社だ。政府から受け取った金利は、日銀の収入という扱いになるから、そこから諸経費を差し引く。そして、残りはどうなると思う? 政府に上納するんだよ。これを「国庫納付金」と言う。残りの54%は銀行や民間企業の持ち分となるが、支払った金利が多ければ多いほど、結局は税金という形で政府に戻ってくることになる。先に説明したインフレ抑制装置の正体が「税金」だからだ。

「お金は信用創造の産物」であることや「財源は税金じゃない」という事実を理解するためには、お金がモノであるという認識を改めなければいけない。そして感情ではなく現実に目の前で展開されている経済を理解するように努める必要がある。

このノートでは政治的議論をしたいわけではない。あくまでも客観的事実として経済の説明をしていくことになる。

今回は過去に紹介した知識も交えて様々な視点からやや脱線気味に語ってしまったので、話が長くなってしまった。余計に混乱させてしまったかも知れない。 

次回はもっと分かり易くMMTの基礎知識を説明するから、気が向いたら是非読んでみて欲しい。

それでは、また次の記事で。